「救いの証し」 岡山 敦彦牧師
私は、1947年、兵庫県明石市で生まれました。両親は、ノンクリスチャンです。
近所に若いクリスチャンの夫婦がおられ、小学校4年生の時クリスマスに教会に行けば、プレゼントもらえると教えられたので、初めて近所のルーテル教会へ行きました。…
クリスマス祝会の後、最後にプレゼントの時がありました。皆勤賞、精勤賞、努力賞、そして初めて来た子ども達にプレゼントが渡されました。
私は、初めて教会にあったので、ささやかプレゼントしかもらえませんでした。私は、がっかりしましたが、来年は休まずに教会学校に来て、素晴らしいプレゼントをもらおうと決心しました。
当時は、まだ日本全体が貧しかったのです。これが私とキリスト教の最初の出会いでした。
それから、中学1年生まで、休まずに毎週教会学校に行きました。
夏のキャンプにも参加しました。その頃、教えて下さった教会学校の先生達の事は、今でも覚えています。1954年版の口語訳聖書には、たくさん赤鉛筆の線が引いてあります。…
ひとつ忘れる事ができない思い出があります。分級の先生が履いていた右足の親指の靴下の穴が開いていました。私は、毎週その穴が気になって仕方ありませんでした。
ところが、3週間後の先生の靴下の穴がなかったのです。よく見ると左足の小指の所に穴があいていたのです。先生は、その日、靴下を左右反対に履いていたのです。
私が、中学校2年生のころ、親の反対で教会に行けなくなりました。…
それから私は、教会学校に行く事がなく、1年浪人して、金沢大学に入学しました。
ラジオ放送でルーテルアワーの番組があり、大事にパンフレットを保管していたので、教会を紹介してほしいと手紙を書きました。すぐに返事が来ましたが、金沢の地理がわからないので、どの教会に行って良いのかわかりませんでした。寮の先輩でクリスチャンがいたのである日曜日に教会に連れってもらいました。…
それは、カトリック教会でした。私は、プロテスタント教会に行きたいと言ったら、もう一人のクリスチャンの先輩を紹介してくれました。その先輩と行った教会が、金沢中央教会で、若狭正一先生でした。
金沢大学の先輩もいました。その一人が静岡めぐみ教会の増山毅牧師です。後輩が生駒めぐみ教会の中山美津雄牧師です。当時、金沢大学の学生が10人以上いました。その中から多くの友人が献身しました。
私は、大学1年生の時に、開かれた特別伝道集会で信仰の決心をしました。
講師は、高山教会の佐藤福男牧師です。ヨハネ3:16からお話をしてくださいました。
私は、自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じました。
大学2年生の春、金沢を流れる浅野川の冷たい雪解けの水での洗礼式でした。
今、思い出しますと、小学校生の時に蒔かれた、み言葉の種は、鳥に食べられることもなく、守られていたのです。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは自分自身から出た事ではなく、神からの賜物です。」
エペソ2:18
岡山 敦彦先生の著書です。