聖雲 「良い人間になりたい」

 

 私は、青森県八戸で4人兄弟の末っ子として生まれました。私の家は、日本古来の家で、朝には、神棚や仏壇に炊き立てのごはんと水をあげるのが習慣でした。

台所や玄関など、いたる所にお札がはってありそのところの守り神でした。

幼い時に、神棚を開けて中を見ると神さまは、そこにはおられませんでした。

ただ、お札がはってあるだけでした。

 

 兄が、カトリックのミッションスクールへ通うようになり聖書が家にあり、借りて読んだり、姉が持っていた三浦綾子氏の小説を読んだりするようになりました。…

私は、高校生になると、友人と意見があわなくなるようになり、悩み苦しみ、自分はどうしたら良いのか分かりませんでした。自分は外側だけ良い子でいても心の内側は汚い者で、『誰かこんな私を助けてください。』と心の中で叫んでいました。…

 そして運よく、私は東京にある武蔵野音楽大学に入学する事ができました。むかし私は、誰に貰ったのか分かりませんが短冊に書いてあった言葉『心のきよい人は神を見る』が心の片隅にありました。

 

 私は大学で良い友達に出会いました。彼女はクリスチャンではありませんでしたが、聖書の神さまについて知っていました。ある時、2人で相談して寮の近くにある小竹町聖書教会の礼拝に行く事にしました。

 私は、初めて教会に行き、教会で自己紹介をする時『自分は良い人間になりたい』と言いました。

その教会の人々は、皆、穏やかな顔で平安に満ちているように見えました。ここには、私のないものがある。私も欲しいと思いました。それから、毎週礼拝と水曜祈祷会(お祈り会)と土曜の掃除や準備の奉仕に参加するようになりました。

 

 教会に通うようになった私は、次第に聖書の言葉やメッセージによってイエス・キリストについて知って行きました。聖書の一番最初の創世期1章1節『初めに神が天と地を創造した』今まで、田舎で触れられてきた自然界が偶然ではなく、設計し造られた神さまがおられることを知った時、幼い時の疑問がスッキリ解決しました。

 私は友人に対する意見の違いによる争い、嫉妬、祖母に対する憎しみ、恨みの罪に、悩み苦しできました。私が、聖書から教えられたのは、愛の神さまは、罪に苦しむこの私の為に、日々悲しんでおられることでした。

 それで神さまは、イエス・キリスト様を私の罪からの救い主として、十字架に身代わりとして付け、罪を赦し、3日目に復活し新しい命に生きる事を与えてくださったのです。

 

そして、私が今まで悩み苦しんでいたことは、自分の心の中にある罪であることがわかりました。私は大学1年から教会に通い始め、大学2年生の12月のクリスマスに洗礼を受けました。それから、私はひとりで悩む事なくイエスさまとふたりでどんな時も歩んで行ける平安が与えられました。

 

『あなたがたは、真理を知り

真理はあなたがたを自由にします』 ヨハネ8:32