「人生のレース」  コニー・パーム著

「エリック・リデルは1902年、中国に生まれ、6歳の時、実家のあるスコットランドに戻った。スポーツが優秀だった。お父さんは「本当に大切な事は、人生というレースをどう走るかだ。一番必要な事は、人生のレースの終わりに勝利者の列に加わることだ。」と言っていた。エリックはエジンバラ大学に入学した。友人から「大学のスポーツ大会に出てはどうか。」と言われた。そして彼は陸上の100m決勝で、10.4秒と言う好成績で優勝した。それから、エリックはどこに行っても人々から賞賛を受けた。 新聞では「エリック・リデルは、イギリスのチャンピオンになり、おそらくオリンピックの英雄になる。」と予測して書かれた。

 エリック・リデルの生涯は、スポーツだけのものではなかった。少年時代にエリックはキリストを信じ信仰に入った。神が存在する事と、聖書が語る神のメッセージは、真実であると信じていた。彼は罪を悔い改め、神に告白して、永遠の命が与えられる事を信じて祈っていた。そして、全てを神に任せていた。ある時、エリックは教会の大きな大会で証しをした。「人は皆、ある時に、分かれ道に立つ、キリストに着くか、それともつかないか、決めなければならない。キリストにつく事は完全にキリストに明け渡す事である。」 エリックは、オリンピックに向かって訓練を強化した。100mでスコットランド初の金メダルを取る事を大いに期待されていたからである。しかし、

100m競技の予定日が日曜日に行われる事になっていた。それでエリックは、少しショックを受けたが、日曜日は神のものであるから走らない事に決めた。そして「日曜日には、神を愛しているので神の戒めに背くことはできない。」とエリックは思い、礼拝に出かけて行った。

 スコットランドが初めて100mで金メダルを取る事ができると期待されていたからである。

エリックは、友人から政府から新聞社から大きな非難を受けた。 「スコットランド・スポーツ界の裏切り者」と書かれて傷ついた。しかし、聖書の1サムエル2:30「私を重んじる者を私は重んじる。」と書いてある言葉を何度も思い出した。

日曜日の礼拝を守らないと自分にとっては神を重んじているとは言えなかったのである。 しかし、エリックには、200m走と、400m走に出るには問題がなかったので、出ることにした。1924年パリオリンピック、200m走と、400m走で見事に優勝した400m走のタイムは47.6秒という世界新記録だった。。これは1960年まで破られる事はなかった。エリックの心の中には「私を重んじる者を私は重んじる。」の聖書の言葉がいつも心の中にあった。この素晴らしい知らせを父親にも知らせた。 その時エリックは、父が「最高のレースは人生というレースであり、最高の賞は天国と永遠の命である。」と語った事を思い出した。その後エリックは、オリンピックの優勝者という名誉を捨てて、神からの使命である中国に宣教師として行く事を決断した。1923年6月29日エリックは23歳の若さで船で中国に出発し7月18日に到着した。 エリックの中国伝道は、非常に困難であったが楽しく喜びのある、短いもうひとつのレースでもあった。

彼は、中国人の子供達にキリスト教の教育を受けさせるため天津英華学院で教えた。

 エリックは、まわりの人達を愛し、親切にし、仕えた。この時の中国は、戦争の真っ只中だったが、エリックは結婚して2人の女の子が与えられた。そして3番目の女の子を身ごもった事を知って、妻をカナダに帰国させた。エリックは収容所に送られた。獄中の中にあってもエリックは、毎朝暗いうちに聖書を開き読み祈りを欠かす事なく神様と個人的な関係をいつも持っていた。それは、エリックにとって神様から力を得る事だった。 彼は、獄中で争っている人々を仲裁したり、スポーツ・チームを作ったり、そして神様の事を人々に伝えたり、人々を支えたりとイエス様の命令に従がって隣人を愛する事に自分を捧げていた。 エリックは獄中で1年間、弱さと、疲れと、病気の中にあった。しかし、エリックはこう書いている。「神を知る事と、心に神の平和を保つ事を保証するものは、聖霊様に従う事である。」そして、1943年2月21日夜9時20分43歳で天に召されて行った。 オリンピック・チャンピオンのエリック・リデルは『残りの1マイルを走ってゴールインし、勝利者の行列に加えられた。』

「このように多くの証人達が、雲のように私達を取り囲んでいるのですから、私達も一切の重荷とまつわりつく罪とを捨てて自分の前に置かれている競争を、忍耐を持って走り続けようではありませんか。」              ヘブル12:1-2