一粒の麦 地に落ちて

戦後まもない頃の茨城県でのことです。
ドイツから来られたクンツ宣教師は、大変な伝道の苦労をされました。
一軒一軒たずねて福音を伝えていると「早くドイツへ帰れ」と言われて多くのところで拒絶されました。
またトラクト配布をし、多くの場所で天幕伝道をしました。
そのうち石岡で拠点を決めて伝道することになりました。
洋裁学校の一室を借りて毎週礼拝ができるようになりました。
この時、長女ダマリスちゃんが与えられました。
クンツ宣教師は本当に主に忠実な人でした。
時が良くても悪くても御言葉を伝えたいという情熱に、燃えていました。
しかし同時に、礼拝を妨害する人たち、この町から出て行けという人たちもありました。
ある日、宣教師宅が放火されました。それはあまりにもむごくつらい事件でした。
その日は夜の礼拝で、先生たちは留守で、2才のひとり娘ダマリスちゃんが寝ていました。
宣教師館に激しい火の手が上がっていることを知らされ、飛ぶようにもどり、燃えさかる炎の中に飛び込もうとしました。
子どもが中にいるんです。」とさけぶクンツ宣教師に「先生、神様の手に、イエス様の手におゆだねしよう。」と同労者の持永先生に引きとめられました。宣教師館は全焼。
持永先生はクンツ宣教師を思いやり、代わりにダマリスちゃんを焼けあとからさがし出しました。
かぶっていた布団を引き上げると、そこには指を組んだダマリスちゃんがひざまずいていました。
その姿は持永先生が数時間前にダマリスちゃんに会った時と同じでした。
その時ダマリスちゃんはお祈りしたいといって指を組んでひざまずき、かわいい声で「愛する救い主様、ありがとうございます。アーメン」と短い祈りをささげていたのです。
事件後、石岡の人たちは、クンツ夫妻は日本を赦せず、すぐにドイツに帰国するだろうと思いました。
しかし夫妻はダマリスがいたこの土地で日本への奉仕を続けたいと願い、その後与えられた2人の子どもを連れて家を訪ね、トラクト配布をしながらイエスの福音を伝え続けました。
その宣教によって茨城県にクンツ宣教師の教会がいくつも建てられました。
「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままです。
しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」ヨハネ12:24(百万人の福音9月号より)
 この証しは、イエス様が私たちの罪のために十字架で身代わって死んでくださったようです。
ひとり娘(ひとり息子)が死ぬことによって多くの実を結ぶことができました。
クンツ宣教師は、神様を呪い、日本人を呪って帰国することもできました。
しかし日本人を赧し、神様の試練に耐え、神様を信じる信仰は揺るぐことがなく、日本の茨城の地に福音を宣べ伝えました。私たちもアブラハムの信仰にならい、試練に耐え、神の御言葉に忠実に従い、福音を宣べ伝えて多くの人々が救われる祝福にあずかりましょう。
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒1:8