「絶望を見た人」

 三浦綾子、旧姓堀田綾子は1922年、旭川に生まれました。子どもが好きだった綾子さんは16歳11か月で小学校教師になりましたが、時代は彼女に「あなたたちはお国のため、天皇陛下のために死ぬのですよ」と疑いもなく子どもたちに教えさせました。敗戦後、命がけで教えていた教科書に墨を塗らせなければならなくなった時、彼女の心は引き裂かれ、ことばを失いました。教科書に墨を塗らせることは、それまでの自分の人生を否定することでもあったのです。癒やしがたい空虚感と絶望、何も信じられない心を抱いて教師を辞めた彼女は、心身共にすさんでゆき、やがて肺結核・脊椎カリエスとの闘病の生活が始まりました。
 そんな綾子さんの前に現れた幼なじみのクリスチャン青年前川正。彼は文字通り命がけの愛で彼女を愛しました。前川正を通して、綾子さんはキリストに出会い、その絶望の淵で光を見い出しました。
しかし、自身が肺結核だった前川は綾子さんの療養費を出すために早く治って働こうと、肋骨8本を切除するという大手術を敢行し、失敗。帰らぬ人となってしまいました。
それはまるで津波に襲われたあとの荒野のようだったと思います。
生きる目的も恋人も健康も失い、いっ治るとも知れない自分の病気のために借金だけが増えてゆく父親。
 「地獄とはもう愛することができないということだ」とドストエフスキ一は言いましたが、まさに、この時の綾子さんも、この人生に愛する価値あるものなど何ひとつ残っていない状況だったのです。さらにギブスベットで身動きもできない闘病は何年も続きましたが、すでに前川を通してイエス・キリストを信じた彼女には「神が愛なら、決して悪いようにはなさるはずがない」という信頼がありました。
聖書の中で、イエス・キリストは「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」と語っています。イエス・キリストがいる限り、回復はあるのです。
 
 綾子さんの小説『泥流地帯』には、「人間の思いどおりにならないところに、何か神の深いお考えがあると聞いていますよ。ですからね、苦難に会った時に、それを災難だと思って嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受けとめ方が大事なのではないでしょうか」ということばがあります。
「苦難」に遭うと人は過去の中にその原因を探します。
でも神様はその「試練」の理由を私たちの未来にお持ちなのです。
「試練」とは、文字通り、「試」したり、訓「練」したりすることです。使うつもりのない者を誰がテストしたり訓練させたりするでしようか。苦難を通して綾子さんを作家にするべく訓練し養ったように、あなたを愛してくださる神様の心には、あなたのための驚くべきすばらしい計画があるのです。奇跡はある。
そして、生かされてある限り、必ず道はあるのです。
「神は真実で正しい方ですから、あなた方耐えることのできないような試練に合わせるような事はなさいません。むしろ、耐えることができるように、試練とともに、脱出の道を備えてくださいます。」
                                 第一コリント10章13節