インマヌエル「あなたは良きお方」 岩渕由美子

もう35年も前になる。その頃の私は、朝、パン屋さんでパートで働き、午後からは新宿へ向かい、山手線の駒込駅から歩いて都立駒込病院の小児病棟へ通っていた。長女の亜希子が入院していた。亜希子は小1の夏休みが終った直後に脳腫瘍が見つかり、27時間に及ぶ手術を経て闘病生活を送っていた。左脳をほとんど摘出したので右半身が不随となり、ことばももう諦めてくださいと言われたが「ママ」とか「バイバイ」など片言を話すことができた。神様からの励ましだと感じた。そして私たちは、主の癒やしを願い、「祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」(マルコ11:24)と宣言し、祈り続けた。一一一私は眠れなくなった。徹夜で「神は癒やしてくださる」と唱え続け、疲労困憊していった。朦朧とする中で「いつまでこんな生活が続くのかなあ」と思った瞬間、我に返り、こんなに亜希子が頑張っているのに、こんなことを思った自分に絶望した一一。しばらくして、すがる思いで聖書を開くと、そこにはこのみことばがあった。「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ」(イザヤ49:15-16)どんなに私がダメな母親でも、神が亜希子を忘れずにいてくれる。神が亜希子と共にいてくださる。神が亜希子を抱きしめていてくださる。大きな安堵を頂いた。そして主に亜希子をお願いしますと祈り、眠ることができるようになった。一一一そして誰よりも私と亜希子と夫のそばにいて、片時も離れずに支え励まし続けてくれた神様がいてくれたから、私たち家族はこの過酷な闘病生活を乗り越えることができたのだ。「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」(Iコリント13:12)亜希子が神様のところに旅立ってからの十数年は、なぜ亜希子がこんな病になったのか、やがて全てのことがわかる日がくる、神様が教えてくれる日がくると、このみことばを握りしめて生きていた。でもある日、ふと「あ、神様が許されたことなら、理由なんてわからなくてもいいや」と思えた。人生には思いがけない出来事やわからないことがたくさんあり、そしてそれぞれの人にそれぞれの願いがある。しかし、私はイエス様のように祈りながら人生を歩みたい。

「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(マタイ26:39)

祈りが聞かれる、聞かれないというものさしではなく、いつも共にいてくださり、私を愛していてくださる良きお方のみこころのままにと祈りながら生きていきたい。