「束縛からの開放」

7年前の8月の始め、片方の乳房の異常に気付き、すぐに外科病院に行き、切開手術を受け、その硬い物を取り出してガン研に送り調べてもらう事になりました。結果が出るまでの数日間は、不安を抱えて死ぬ支度をするように身の回りを片付けて過ごしました。約束の日、検査結果を聞きに行きますと、先生は私の事を気遣いながら、「残念ながら悪い物でした。大変初期の段階でよく見つけましたね。」と言われましたが、初期であろうが、末期であろうが、乳房を失う事にかわりはありません。手術の方法の説明を受けたり、入院の手続きなどをして帰ってきました。すごく重要な宣告を受けたのに、なぜか心がシーンとしていて、あまり悲しいという感情がわいて来なくて、「これが主の給う平安なのか?こんな時、普通泣くのじゃないのか?」あれこれ自問自答した末、泣いたっていいのじゃないかと思った瞬間、自分でも思いがけず、涙がこぼれて、声を上げて泣きました。しばらく泣くと、すっきりして、「そうだ、皆に祈ってもらわなければ」と思い、その当時在籍していた教会の親友や、主人の転勤に伴って転居した先々でお世話になった教会に、FAXや電話をかけて祈ってほしいと頼みました。始めに入院手続きをした外科病院ではなく、乳腺専門の病院で手術を受ける事になりましたが、その事も主にある姉妹の祈りやアドバイスによって事がスムーズに運び、8月の終わり頃入院しました。それまでに沢山のはげましの手紙やテープをいただき、また電話口で祈って下さったりして、大丈夫だという思いが湧いて来ました。手術は2時間程で終わったそうですが、集中治療室から、自分の病室にもどっても全身麻酔の影響か手足に力がもどらず、体を起こす事にも難儀しました。胸にはチューブが2本差し込まれ、その先には容器がぶら下がった状態で、寝たり起きたり歩いたりは出来ましたが、夜寝る時は寝返りがうてないので就寝時間になるのがいやでした。毎朝早くに目ざめ、「神様、私の頭のてっぺんから足の先まで清めてください。聖霊様とお話ししたいのです。」と祈り、昼祈り、夜祈り、思いつくたびに祈り、祈らずにはいられない日々でした。また、主にある姉妹方も、私が疲れない程度に見舞って下さり、手を取って祈り合いました。病室は、置き場のない程、花であふれ、感謝する事ばかりの日々でした。2週間後に胸のチューブが抜かれ、束縛から開放されると、早速パジャマから洋服に着替えて病院を抜け出し、手芸用品店に糸やハサミ、肩パッド等を買いに走り、ベッドの上で、それを乳房の形に工夫して作り変え、退院の時の自分の体型 の補整を考えたりして、神様から、いろいろな知恵を頂きながら、楽しい入院生活は1ヶ月で退院となりました。入院中は、まわりの人は皆、乳癌友達でしたが、退院して世の中に出てみると、私一人という気がして、鏡にうつる自分の姿を受け入れられませんでした。今では、そんな事は大した事ではありません。神様がいつも祈りに答えて下さり、特別に愛されていると感じる事、人生には思いがけない事故や病や悲しみがあり何が起こるかわからない不安がありますが、どんな時にも、主がそばにいて下さって、「安かれ、安かれ。」と心の耳に語りかけてくださる。神様がどんなにあわれんで慰めてくださっているかを心から感謝しております。  AS姉

                     

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」      

                                          コリント10:13