「生きる希望」 

                                             
私は6才の時、脳脊髄炎を患い、足をひきずって歩くようになりました。小中学校では足が悪いということで、いろいろといじめに遭いました。高二になると両足が痛むようになり、布団にほとんど寝たきりで、勉強する気にもなれず悶々としていました。そんな私に親友のYさんが送ってくれた手紙の中にこんな祈りの言葉がありました。『神様。このままでは、Yさんは死んでしまいます。イエス様、Kさんを助けてください。』その手紙を読んで『聖書というものを、まじめに学んでから死んでも遅くないなあ。』と思って聖書を学ぶことにしました。『勝利ある人生めざして』の通信講座を学び始めました。学んでいく中で、自分は神様に背を向けて自己中心に生きてきたこと。イエス様がなぜ十字架にかけられたのかは、私の罪の贖いのためであったことが解りました。そして自分の罪を告白して心の中にお迎えすることによって、神様の子供となり、永遠の命が与えられることがわかりました。学びの中で私は『イエス様を私の救い主として信じました。』それから三浦綾子さんの『道ありき、この土の器をも、光あるうちに、新約聖書入門、旧約聖書入門』等を読んで感銘を受けました。そのうち私も『道ありき』の三浦綾子さんのように洗礼を受けたいと思うようになりました。そして浦和福音自由教会を紹介してもらいました。Mさんという方が訪問してくださいました。それからは週報、礼拝メッセージテープを届けてくださるようになりました。そして1977年に坂野慧吉牧師先生より洗礼を受けました。その時高校生の時からのクリスチャンの友人山崎さん、Yさんから『世にあっては苦難があります。しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝ったのです。』(ヨハネ16:33)の御言葉の額が贈られました。この日から私は父や母や妹の救いのために祈り始めました。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。』(使徒16:31)高校を無事卒業しましたが、ほとんど外に出ることなく椅子に座りながら、料理を作ったり、家事をして36年間すごしました。2014年3月に風邪をこじらせ入院、3週間の入院で、まったく体が動かなくなり、寝たきりのベッドにオムツをした状態になりました。57才の私に与えられた試練です。1日3回の食事、オムツ交換とタオルによる朝とタの体ふきと水なしシャンプーによる頭皮ふきをヘルパーにしてもらう毎日になりました。礼拝に車椅子でいけなくなり、神様に祈ることと聖書を読み、信仰をもって忍耐することを身にしみて教えられました。そのような時、心の中で聖霊様は、新しい所に移るように道を開いてくださいました。その年の10月に特別養護老人ホームの入所が決まり、引越すことになりました。そのような中、父は亡くなる前にイエス様を信じて召されて行きました。そして一人暮らしの母に手紙をせっせと書き、福音を伝えました。母もイエス様を信じて救われました。しかし肺炎をこじらせて召されて行きました。その時次の御言葉『私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を私達にもたらすのです。』(11コリント4:17)が与えられ励まされました。4年前にクリスチャンの姉妹が与えられました。その人は目が悪く聖書が読めないため、私がかわりに読んであげるようになりました。また体調が良ければ一緒に賛美をして楽しい一時をもっています。私は64才の今まで私を愛して導いてくださっている主イエス様に心から感謝しています。
                                            K・Y姉
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
                             詩篇103:2 (百万人の福音12月号)