「心の扉を開ける」

「心の扉を開ける」
(雪のたから パトリシア・M.セントジョン作より)
 アンネットは、7才のクリスマスイブの夜に弟が生まれました。と同時にお母さんから「アンネット、あなたにクリスマスプレゼントをあげます。あなたの弟ですよ。その子はあなたの子どもです。わたしの代わりにかわいがって、よくめんどうを見てやってね。」と言われました。お母さんはこの夜天に召されて行きました。アンネットは、一生懸命、弟のダニーに愛を注ぎ育てました。
一方、幼なじみのルシエンは、お父さんを亡くし、お母さんとお姉さんと近くに住んでいましたが、わがままで、怠け者で、言うことを聞かす”学校でも暴れん坊の弱い者いじめな子でした。ある日、5才になったダニーがお姉さんのアンネットの誕生日プレゼントに野原へ花をつみに出かけました。そこに、あのいじわるルシエンがあらわれ、嫌がらせをしたのです。ルシエンは、荒々しく花束を奪い取ると、それを地面に叩きつけて靴で踏みにじりました。ダニーはルシエンに跳びかかり「お父さんに言いつけてやる。お父さんは君の家へ行って君をぶつよ。君は悪い子なんだから。」と叫びました。ルシエンは本当は臆病者で、これを聞くと、何とかそんなことにならないようにダニーを脅してやめさせようと知恵をしぼりました。そして、ダニーと一緒にいた猫のクラウスの首すじをつかんで
君が今すぐここに来て、お父さんに告げ口しないと約束しなかったら、この子猫を川の中に落としてしまうよ」と叫びました。
ルシエンは、只脅すだけのつもりだったのですが子猫のクラウスが暴れ出しルシエンを引っ掻いたので手を放してしまい、谷に落ちてしまいました。ダニーは子猫を救おうと下へおりていきましたが、濡れていた岩に足をすべらせて叫び声をあげて落ちてしまい命は助かりましたが、足を骨折し、そのために松葉杖をつくようになってしまいました。姉のアンネットはルシエンへの憎しみと怒りを持つようになり、決して赦そうとはしませんでした。、、、またクリスマスがやってきました。教会でのクリスマス礼拝の時です。
 牧師さんは人々の心の中に、いつまでも残るような話ができるように祈りました。すると突然、牧師さんが「『彼らのいる場所がなかった。』イエス様をお泊めする部屋はなかったのです」このことばをゆっくり三度繰り返しました。「今夜もなお救い主は閉ざされた戸の前に立っておられます。『見よ。わたしは、戸の外に立って叩く。誰でも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入る。』このクリスマスに、あなたはキリストをどうなさいますか。心の戸を開いてキリストをおむかえになりますか。それともキリストを戸の外に立たせたままほうっておかれますか。…、_、-_-アンネットは考えていました。「イエス様、私は今、心の戸を開けます。今まで戸を閉めたままで、こんなに長くお待たせしてすみませんでした。ルシエンを憎んで悪かったと思います。どうぞルシエンを愛することができるようにしてください。アーメン」その夜、天では、アンネットの名前が神様の「いのちの書」に書き記され、天使たちは、地上の子どもたちがもう1人心の戸を開けてイエス様をおむかえしたことを喜んだのでした。私たちも人を赦すことの出来ないような罪があります。それは、イエス様をしめ出している、お泊めすることができないようにしている罪なのです。その罪を、イエス様の十字架のもとに持って行って赦していただくこと、それが戸を開いてイエス様をお泊めする、居場所をつくる事です。クリスマスとは、この汚い、臭い、家畜小屋で救い主が生まれなければならなかったことなのです。私たちの罪によって、臭い、きたない心にイエス様をおむかえすることによって、本当のクリスマスを私たちが今、迎えることができるのです。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってはたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」 (ヨハネの黙示録3:20)