「砕かれた自我」  

 私は牧師として教会で働き始めました。結婚し、子供が与えられ私は一生懸命に与えられた務めに取り組もうと思いました。 やがて教会内外の多く責任を任されるようになりました。しかし十数年が過ぎた頃から微熱が続き、夜に眠れなくなりました。その数年後には、ひどく気持ちが落ち込むようになり、鬱病と診断されこのまま仕事を続けては病状が悪くなる一方であると言われました。牧師を休職せざるを得なくなり、それから半年間の生活はほとんどをベッドの上で過ごす事になりました。鬱の病の中で様々な症状が現れました。

 夜になると不安になり、何も理由がないのに漠然とした恐怖に襲われます。原因がないのに怒りが込み上げ、何度も死んでしまいたいと思いました。当時小学生だった娘は転校をし妻は仕事を始め家族の生活は一変しました。一方私は何もする事がありません。その事に罪悪感や、自分の存在に対する否定的な感情が心を占めていました。冬が過ぎた頃、私はぼーっと庭を眺めるようになりました。今まで気がつかなかった鳥のさえずりや、風で木の葉が揺れる音が心地よく聞こえました。季節は流れ時が過ぎている事を感じました。

 それから私は何かをしたいと思うようになりました。私は絵を描く事が好きでした。そこで庭で文字や絵を描いて看板を作る事にしました。すると庭がとても華やかになり、何かを生み出すという事の楽しさを感じたのでした。しばらく喜びを感じる事が無くなっていた私にとって、それは一筋の光のようでした。とにかく描きたいと思うものを好きなだけ描き、次第に鬱を通して思った事を絵で表現したいと思うようになりました。いつのまにか70を超えるほどの作品が手元に残っていました。ただ眠らせておくの勿体ないと思い、展示会を開いてみようと思いました。

 鬱になって床に伏してから約2年が過ぎた時の事でした。キリストは私達人間がこの地での苦しみ、悲しみ、痛みを味わい、私達と同じ思いを共有してくださいます。 「あなたの悩みはたいした事がない。

それくらいみんな経験している。その程度は我慢しなさい。」 イエスはそのようには言われませんでした。イエスは当時のユダヤ社会で相手にされなかった貧しい人、病人、罪人と呼ばれつつも、自分の罪を自覚して苦しんでいた人の元を訪れ、そのような人達の心に触れてくださいました。

 私はこのイエスの愛を鬱の病の中で実感しました。病の苦しみの中で、イエスは私の痛みを共有してくださり、私の心に触れ、そして癒しを与えてくださいました。

 イエスの愛を実感した時に、私は生きていてよかったと心の底から思えたのです。それは理屈ではなくて、御霊が与えてくださる体験です。私は念願の展示会を開催し、『ヒトリコテン』という名称にしました。

1人、コテン」と倒れて過ごした日々。誰でも倒れ、孤独になる事があります。しかしその苦しみの中にイエスは共にいてくださいます。その事を展示会の中で感じていただけたらと願いを込めました。『ヒトリコテン』には、愛する友人、知人が来てくださり、久しぶりの再会を喜んでくださいました。

 それは本当に幸せな時でした。私の作品を通して慰められたと言ってくださるかたがたが沢山いました。

 それがとても嬉しくて、私は絵を描く事に喜びを見いだしました。2回、3回と『ヒトリコテン』を開催していく中で、はっきりと分かりました。私は鬱の病の経験を通して、人々に神様の慰め、平安、希望をお伝えすることができる。病の渦中には分からなかったことですが、振り返って全てに神様のお導きがあることを確信することができました。

 

                                                  本田 守牧師

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、憐れみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」 ヘブル4:1516