「キリストに見い出さて」

                                                               KS

 私は21歳の頃、生命保険会社で営業所の業績日報を集計する仕事を担当していました。

ところが集計が終わって支社長に報告する段階になると、担当外の後輩 A子さんがいつも私の報告書をひったくり取っては、支社長に報告し、自分の手柄にしてしまうのです。

私が所長会議のお茶を入れ終わると、A子さんが横取りして運んでしまうといった具合で、ずるい彼女の方が私よりも勤務評価が高いのでした。私は弱肉強食の時代に、餌食になるために生まれてきたのだとあきらめて、されるがままに我慢して働いていました。ところで、職場にはB子さんという人がいて、彼女は私をキリスト教の伝道集会に何度も誘ってくれました。でも私は気弱なくせに、自分を強い人間だと思っており、心の弱い人がキリスト教を信じて正しく生きられるなら結構なことだと、他人事のように思い、そのつど断わっていました。

それに教会は会員制度かなにかで運営しており、一般の人は加われないものと思っていたのです。

 その年の秋、B子さんに再び伝道集会に誘われた時、私は断わり続けてばかりでは悪いからと、義理で教会というところに顔を出してみたのでした。その集会で、牧師先生が何を説教したのか覚えていないのですが、

 私は礼拝堂で、どこからともなく私の心に語りかけるこんな声を聞いたのです。

「あなたは罪人です」「ーーその罪人のあなたの身代わりとなって、私は十字架にかかって罰を受けて死んだのだよ。それはあなたの罪が赦されるため、そしてあなたがたが互いに愛し合って生きるようになるためなのだ。それなのになぜ、あなたがたは互いに恨んだり憎んだりして生きているのか」

「そうです。私は罪人です」私が心の中で叫んだ瞬間、熱い涙があふれてきました。

同時に、この声の主(ぬし)は、牧師先生が説教でおっしゃっていたイエスさまというお方だとわかったのです。

 私はそれまで自分がA子さんを憎んでいたことも、心が氷のように固く凍()てついていたことにも気づきませんでした。それが、この声の主であるイエスさまの愛に包まれたため、体中が熱くなり、氷のような心が解きほぐされ、次から次へと涙となってあふれ始めたのです。そしてちょうど母のふところに安らぐような、生まれて初めて味わう本当の平安がやってきました。

 このとき初めて、私は神様に愛されている。私は私のもとに帰った思いになりました。それから私は毎日が嬉しくなりました。そして、教会生活をするうちに、イエス様のお役に立ちたいと思い、献身して伝道師になり、

今は神様のために働かせていただけることを主に感謝いたします。

 

 

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりも滅びることなく、永遠の命を持つためである。」ヨハネ316