放浪の人生からの救い

私は勉強が嫌いで野球が大好きな子供として育ちました。しかし高校3年生の夏、高校野球の部活も終り、大学受験の学びになりました。私はこの頃、対人関係と将来の不安を覚えて、人生に絶望して、自殺未遂をしました。その後、自暴自棄になり、大学受験にも失敗しました。そんな私ですから人を恨み、日本を恨みました。そんな私に、父は寛容で私が英語が好きだったので、アメリカに留学させてくれました。とにかく嫌いなことをすべて忘れたかったのです。私は放浪の人生を歩みました。しかし、環境は変化しても、平安と安らぎのない人生、生きる意味の分からない日々を過していました。親も苦しかったと思います。アメリカの大学での単位を取ることは大変でした。また、自分の心は過去に犯した罪に対する自責の念に押しつぶされそうになり『こんな人生を送ってもしようがない。早く死にたい』という思いでいっぱいでした。そんな時、大学のクリスチャンの友人が、教会に誘ってくれました。通い始め、心に少しずつ安らぎを取り戻していきました。

 

ある時、イエス様が本当に自分の犯した罪を、赦してくださるならば信じたいと思い、こう祈ってみました。『イエス様。自分の犯したすべての罪を告白します。あなたは本当に、十字架で私の犯した罪のために、身代わりとして死んでくださったことを信じます。そして3日目に復活して、心に平安あれと言ってくださり、生きる希望である復活の約束と聖霊をくださいました。心から感謝します。これから私は、あなたに従います。』そして次の聖書の言葉を真剣に信じました。『だれでも、キリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、見よ。すべてが新しくなりました。』(ⅠⅠコリント5:17)私はアメリカ留学中、日曜礼拝、祈祷会に参加し、高齢者のためのバスの運転手の奉仕をしました。この時、主が教えてくださったことは、『他人と比べずに、自分に与えられた賜物を用いて人に仕えること』でした。また、大学の学びも、自分で精一杯努力して、後は主に委ねてお祈りすることをしました。すると、不思議にイエス様は、心に平安を与えてくださいました。

 

私は18歳の夏に不祥事を起こし、生きる気力を失い、一度死にかけ、放浪し、21歳の時、イエス様に出会い、信じて生きた人生でした。今日まで、神様のもとで聖書を読み祈り、聖霊様に導かれて生きてくることができました。自分の力や能力や知恵に頼んで生きるのではなく、イエス様と共に生きる人生がどんなに幸せなのか教えられています。メソジスト教団の創始者ジョン・ウェスレー師のことば『人生の最高のことは、神様が私達と共におられる』ことです。今私は、40年間の信仰の人生を振り返り、『イエス様と共に、生きて来てよかった』と本当に思います。  O・Hさん

『見よ。わたしは世の終りまで、いつも、あなたがたと共にいます。』 (マタイ28:20)