「父と母を敬え」

「聖書に記された十戒の教え「父と母を敬え」は、小さな子どもたちに与えられたのではない。
イスラエル民族の大人たちに対して与えられた。
それは老いていく親を前に、かつて幼い自分を守ってくれた力強い腕も、何でも相談にのってくれた明瞭さも失っていく親を前にして、決して親に失望することなく、親をばかにすることなく、尊敬し続け、愛し続けるようにとの教えなのだ。老いる親を見るのは、悲しいことなのだろうと思う。まだ目の前で元気な親を見ているとこれからもずっと自分の前にしっかりと立って、自分を抱きしめ、愛し、戒め、慈しんでくれるとどこかで信じている。
でもいつの間にか、親にもできなくなっていくことが増えていく。
「早くしなさい」何度も急がせていた親のスピードの方が自分よりも遅くなり「あれ忘れてない?」と何度も言っていた親のほうが忘れてしまうことが多くなり「またなくしたんか!」と叱っていた親の方がいろんなものをなくしてしまうようになる。一一一老いていく親を見つめるには信仰が必要だ。老いてさらに頑なになる、あるいは自分の非をますます認められなくなる。そんな親を裁かずに、年老いた親が罪を犯さなくてもいいように配慮し、親のために祈ることができるようにと向かっていくことは、最後に受け継がなければならない信仰のような気がする。
そして十戒は、そのことを受け継ぐように私たちに求めている。おかんの母親、ボクのおばあちゃんは、話すこと、歩くこと、ひとりで食べること、いろんなものを後に置いていった。しかし、礼拝に連れて行き、主の祈りがささげられると、急に「天にまします一一」と祈りが始まる。意識が遠のく中、ベッドわきで「いつくしみ深き」を歌うと、おかんと繫いでいた手を離して祈りの手を組む。
おばあちゃんは信仰だけを握りしめ、そして多くの何かを残してというよりは、信仰だけをこの地上の家族に残して、天に召されていった。そのおばあちゃんの信仰をこぼさず、おかんはボクらに繫いでくれた。
ボクらがこの地上で繫いでいけるのは信仰だけだ。おかんのしてくれた信仰継承。この受け取った信仰をもって、老いていく両親と生きる。受け継いだ信仰を残さず、もれなく、ボクの子どもたちの世代に繫いでいいくために。…」
                                                      大嶋重徳牧師
「『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり約束を伴うものです。すなわち『地上で長生きする。』と言う約束です。」 エペソ6:2〜3