「宣教の召命」

「わたしを呼べ。

そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない理解を越えた大いなる事をあなたに告げよう」(エレミヤ33:3)このみ言葉は、カナダに来る数年前から私の祈りの基調になっていました。

神様は、その言葉のとおりに、私を思いもよらない道へ導き出されました。

 

一一一22才の時に、私の町でキリスト教の集会が開かれると知りました。

2人の外国人女性がハンド・スピーカーで集会の案内をしています。

誰も関心を示さない中でも、一生懸命に案内をしている後ろ姿に何か大きな力を感じ「誰も見向きもしないのに、それでもやっているなんてすごい!私も何かを一生やるとしたらこんな事をしたい!」と思いました。

各家庭に配られていた案内はがきを投函してみると、集会の当日にスプーア先生が私を迎えに来られました。断り切れず、しぶしぶ家庭集会に参加しました。

その集会で聞いた「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこに入ることは決してできない」(ルカ18:17)という聖句が強く心に残り「私は幼な子のように素直ではないな」と思いました。

その日の夜、自然に「祈りたい」という気持ちになり、自分の良心に咎めていたすべてのことを神様におわびして悔い改めました。その時、神様こそが私の本当の親なのだという平安と確信を頂きました。

その後、毎週日曜日にバスに1時間揺られて、隣町の教会の礼拝に出席するようになりました。

ある時「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(ヨハネ8:12)というみ言葉を通してイエス様に従うことで、自分が罪の闇から救いの光の中に移されているのだと気づかされました。「私は救われたんだ!私はイエス様の側にいるんだ!」と確信し、洗礼を受けました。その後、神学校での学びや、伝道者としての奉仕の場を通り、新年修養会の折、神様からの問いかけがありました。

「私のために外国に行くか?」唐突な質問に戸惑いながらも、すべてをゆだねる覚悟で「はい」と答えました。

 

一一一かくして私はスーツケース1個、ボストンバッグ1個その後の生涯を支え続けることになる聖書のみ言葉「わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る」(イザヤ45:2)のみを携えてカナダのバンクーバーへと旅立ったのです。

一一カナダは、たいへん国土の広い国です。

バンクーバーを拠点に夏の気候の良い時期に1人で車を走らせ、日本人がいると来くと出かけていきました。

ひと夏に4500Kmを走った年もあります。これは聖霊の力に動かされたからこそ成し得たことです。

突然見ず知らずのお宅をお訪ねする場合も多いので、ぴしゃりと断られることもありました。

そんな時には「もう訪ねるのはやめてしまおうか一一」という気持ちにもなりましたが、神様に押し出されるようにして7年間訪問を続けるうちに、ついに洗礼にまで導かれた方もいます。

 

一一現在は、カナダ人の教会であるリッチモンド・バプテスト教会の中の日本語グループのために奉仕をさせていただいています。与えられた伝道の召しから動かずにいれば、神様が必要なところへ導かれます。

カナダに来る時に携えてきた前述のイザヤ45:2のみ言葉を通して、困難な状況を進んでいく力を与え、傲慢で頑なな私の心に働いて、イエス様の似姿へと変え続けてくださっています。

現在82才になりますが「老人は夢を見る」(使徒2:17)というみ言葉に力を与えられ、神様の夢を実現するため、今も立ち止まることなく一歩ずつ前に向かって歩ませていただいております。 坂本トモ子牧師