神様は、幸運(幸せ,恵み,愛,喜び,平安)をもうすでに私たちに与え尽くしておられます。
タラントは賜物と訳しますが、聖書では、神様が私たちに与えてくださった人生すべてを指します。私達は人生のすべてを用いて、神様のタラント(愛、喜び、平安、恵み、幸い)を増やすことは、その広さ・長さ・高さを学ぶこと(もうけること)です。そのために必要なものは信仰です。
マタイ25:14~30の5タラント・2タラントを預かった僕と、1タラントを預かった僕の信仰についての例話です。
「ある王国の王様の側近マーリンは、騎士の2人に『魔法のクローバー』を森に行って捜すように頼みます。
ノット (1タラントの僕)と、シド(5タラント2タラントの僕)は森に行きました。
まずノットは、大地の王ノームに会いに行き『魔法のクローバー』について尋ねました。
ノームは答えました。『この森のどこにも生えない』それを聞くとがっかりして、別の誰かに聞く事にしました。
その後、シドもノームの所へ来て同じように答えをもらいましたが、どうして生えないのかを尋ねます。
すると『土のせいだ。今まで誰も土を入れかえたことがない。』と聞くと、シドはノームにアドバイスをもらい、さっそく良い土を捜し、手に入れました。森の中の良さそうな場所を決め、草を抜き、根をかき出し、耕して、新しい良い土を敷き詰めました。そして、クローバーは、水の側でなければ育たない。ということを聞きました。
それでノットは次に湖の女王の所へ尋ねに行きました。すると湖の女王は『この森に水の流れる所はない』と答えました。それを聞くと、ノットはがっかりして、嫌気がさしてきました。また、別の誰かに聞く事にしました。
その後、シドも湖の女王の所に行き、話をすると、湖の女王から悩みを聞きました。それは、湖の水をどこかへ流したいのに、自分にはできないことでした。シドは、自分の耕した地に湖から溝を掘り、水を引く、水路をつくりたいと頼みました。すると快く水路をつくることを承諾してくれました。
ノットは次に、木々の女王の所へ尋ねに行きました。
『この森に魔法のクローバーなど生えたことはない』とまたも同じ事を聞き、ノットは『マーリンが言ったことは嘘だった。一杯食わされた!!』と怒りの気持ちになりました。
一方シドは、木々の女王に、植物が良く育つためには、森の古枝を切り落として太陽の光が差し込む事が大切だということを教えてもらい、10本の木々の古枝を切り落とし、耕した地に太陽の光が差し込むようにしました。
シドは少しずつ魔法のクローバーが育つための下ごしらえをしていったのです。ノットは次に全ての石の母ストーンの所へ尋ねて行きました。『こんな石ころだらけの場所に魔法のクローバーが生えるわけがない』と言われ、もう捜すのをあきらめてしまいました。今度もまた、シドは『石ころを取り除けば植物は芽を出す』ということを聞き、耕した地から小石を苦労して取り除きました。最後は、2人とも魔女モルガナの誘惑に会いました。
ノットは魔女の誘惑にまんまとだまさ、マーリンの言った事は嘘だと信じ、マーリンを殺したいほどに憎しみました。 しかし、シドは誘惑に打ち勝ち、自分が今まで思いつく限り、正しいことをやってきた事に安らぎを覚えました。その時、天から緑色をした雨が降ってきました。透明な緑色に染まったその光景はとても美しいものでした。
その緑の雨こそ、魔法のクローバーの種でした。
シドが耕した地にも緑の雨は降り注ぎ、芽を出し、根を張り、数え切れないほどの魔法のクローバーが生えてきたのです。」(Good Luck-グッドラック- アレックス・ロビラ著)
ノット(1タラントの僕)のように神様を「蒔かない所から刈り取り散らさない所から集めるひどい方だ。」マタイ25:24と考えるのではなく、シド(5タラント2タラントの僕)のように自ら労苦して御霊の実(愛、喜び、平安)を2倍いただく事が神を信じる信仰者の姿です。
「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたに、たくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」 マタイ25:21,23