「あなたのみこころを行なうことを教えてください。 あなたこそ私の神であられますから」詩篇143:10
私たちは、何を喜びとするだろう。自分の願望が叶えられ、自分の
思い通りになるなら、幸せだと思うのではないだろうか。 だいたい、
自分の欲望が満たされる事が心地よく、幸せに感じる。これは肉の
価値観であり、主を知る以前はこの価値観で生きて来た。
心満たされたいゆえに、自らの願望を遂げようとする。仕事、 趣味、
名誉、地位、愛する人・・次々と求めて行く。 しかし欲するものを手にした時に、一瞬の快楽はあるが、 真に満たされる事は無い。心は虚しく、更に渇くばかりだ。「 この水を飲む者はだれでも、また渇く」とあり、欲望が叶っても、 心が満ちる事はない。
井戸ばたのサマリヤの女性は、5回の結婚と5回の離婚を重ね、 現在は同棲中だった。彼女は男性が自分の心を満たしてくれ、 自分を幸せにしてくれると信じていた。 だから結婚がうまく行かないと、 この相手だからうまく行かないのであって、別の相手ならと、 5回も結婚を繰り返した。しかし決して満たされる事はなかった。
今も多くの人が、自らの欲望が満たされる事が幸せであり、人生の
目的だと思っている。しかしそこに満たしは無い。真の幸せと満足
は、自分の欲望を満たす事でなく、神ご自身にあり、神の御心を歩
むところにある。
主に、御言葉に従って行く時に、自分に真の喜びが与えられ、 心が満たされる。 そして目の前の一つ一つの御心に従って行く時に、 自分が変えられる。主のかたちへと変えられて行く。