「主の権威」

「主の権威」 Fさん

母は、よく信徒や求道者の家を訪問していました。それもただ訪問するだけではなく、何か物を持ってゆくのです。私のかすかな記憶の中に、お鍋を抱えて家を出てゆく姿が残っています。
父のその頃の日記を見ると、夕食の時間になってもなかなか帰らない母のことで、父がいつもいらいらしていたことがわかります。母はある人を訪ねるために出かけ、それが済むと、その近くの誰かを思い出して訪ね、次から次へと、時のたつのを忘れてしまうようでした。
子どもたちもお腹をすかし、父と同じように不機嫌になっていると、やっと帰った母が、「〇〇さんがイエス様の十字架は私の罪のためでした。3日目の復活によって私は永遠の命が与えられることを信じます。と言ってイエス様を受け入れましたよ」とうれしそうに報告するのです。
あっけにとられた私たちは、「また、はしご訪問が始まったね」と半ば諦め顔で話し合ったものです。
母はよく聖書を読んでいました。自分の孫より若い神学生の話でも、真剣にノートを取り、あとからいつも読み返すのを習慣としていたのです。母は正式には聖書学校を出ていませんでしたが、聴講生として、バーネット先生の講義を、いつも食い入るように聞いて克明にノートを取っていました。また、笹尾鉄三郎先生の聖書講義のシリーズは、すり切れてしまうほど読み込んでいました。
母が80才くらいの時、私は「何かほしい物があったら、プレゼントさせてほしい」と申し出たことがあります。母は即座に「大きなコンコルダンス(聖書語句索引)がほしい」と答えたのです。
母の召される5日前、私が駆けつけた時、母は文字どおり死力を尽くして祈っていました。
しかし、すっかり衰えてしまった体力では、「大能の主、全能の主」と呼びかけるのが精いっぱいのようでした。そのあと、ポツンと「祈りの勇者」という声がその唇からもれ、それが最期のことばになりました。
母はいつも聖霊による祈りの勇者でした。
期の時一緒にいた看護師さんによれば、3ヶ月にわたる入院生活の間も、よく祈っていたということです。母の死後、子どもたちで母の残したものを整理した時、おびただしい手紙の束が出てきました。
それは、人から寄せられた手紙を一通でも捨てなかったことを示しているものでした。
別の言い方をすれば、手紙さえも整理できなかった人、人のことばかり考えていて、時として、この世の動きに関心をもたず、聖書にばかりしがみついていた人と言えるかもしれません。しかし、私は、母が本当に「良いほうを選んだ」(ルカ10:42)そして、母は良い伝道者だったと思います。
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒1:8