「神様の招き(愛)を受け入れる」

私が、少年院で面接している少年が、4回目の面接で、急に態度が変わりました。
それまでは、自分がここに入ったのは他の人のせいだと言っていました。
親が悪い。友だちが悪い。俺を捕まえて殴った警察が悪い。」と言って、いつも「自分は悪くない」と主張していました。そして「俺は警察を訴えてやる!」と意気がっていました。
しかし今回は全くちがう態度なのです。
私に会うなり「俺が悪かったです。ごめんなさい。先生が言われたとおりだと思いました。俺は本当に親父が嫌いでした。しかし、先日、親父が面接にきてくれて、じっくり話しました。そしたら親父が俺のことを心配してくれていることが分かりました。だから俺ここで真面目に反省して立ち直りたいと思います。」と言ってくれました。
私がこの話を聞いて思ったことは、彼が変わったのは、«父親がこの少年院の面会に来て、自分の息子とゆっくりいろいろなことを腹をわってじっくり話し合ったことで、父親が息子を愛していることが伝わった»ことだと思います。
このことは信仰生活にもいえることだと思います。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは見込みでを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」ヨハネ(3:16)
私たちに大切なことは、父なる神様は私達を愛していてくださることです。
その愛は、ご自分の命までも惜しまずに与えたことです
それは私達の罪の身代わりとして御子イエス・キリスト様を十字架で死なせて、すべての罪を赦されたこと。
また3日目によみがえられて、信じる私たちはイエス様と同じ復活の体をもって神様と共に天の御国で宴会の席につくことができることです。
この少年に伝えることができたのは「あなたのお父さんが、あなたを愛しているように、天の父なる神様も、あなたを愛しています。そしてどんな罪も、イエス様に「ごめんなさい」とおわびすれば、赦されます。このことを信じてください。」といってお祈りしました。
「イエスは答えて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」ルカ5:31-32