「いのちの問いに向き合い」

10の災いの最後の過越しは、罪の報酬である死です。

現在私たちは、必ずやってくる死に、誰しも直面します。その死から救われたいと思います。

しかしその死から救われるためには、自分の努力、力、能力、知識、お金、修業苦業をもって救いを得ることはできません。死という裁きから救われるためには、聖書は私たちを造られた神様だけが救うことができると言っています。それは一方的な神の憐れみによるしかありません。

神様は私たちの罪を、小羊なるイエス・キリストに負わせて、罪の身代わりとして裁き死なせました。

そして3日目に復活することによって罪の赦しと体のよみがえり、永遠のいのちを与えて下さったのです。

これを信じることによって私たちは罪が贖われ、裁きにあうことがなく、死からいのちに移っているのです。

次の証しは、死からの解放を証しています。

 

「ホスピス病棟の患者さんは、1人の人間として人生最大の苦境にあり、最大の苦悩・苦痛に直面しています。
ですから私は、単なる医師ではなく1人の人間として患者さんたちに向き合ってきました。クリスチャン・ホスピス医として、接する患者さんの喜びと幸せを願い、愛し仕え続けてきました。
すると、患者さんが、身も心も疲れ果てて不安と孤独のただ中にあった魂の厚い殻が、少しずつ砕かれていきます。やがて心と心の関わりができるようになっていくのです。イエスが病人を憐れまれたように、心から患者を憐れむ姿勢で仕えていくと、関係が築けていき、患者たちのさらに深刻な叫びに直面することになります。
患者さんたちの最終的な課題は、やはり『生きる、死ぬる』です。
死にたくない、死ぬのが怖い、死んだらどうなる。
このような訴えに対しては、クリスチャンとして対応することになります。
それも、相手はキリスト教の講義が聞きたいわけじゃない。
永遠のいのちに至る水』を提供することが、私に求められているわけです。
極限状態の、必死な患者さんたちの訴えに対し、死んで復活し今も生きているキリストを語り、手を取り合い、主を賛美し祈ってきました。そのように患者さんとの関わりを持つことによって、信仰をもち、心安らかに天へ凱旋していった患者は数知れません。ある女性は召される直前に「先生、クリスチャンになって本当に幸せ。今が最高!」と満面の笑みで亡くなっていきました。そんな患者さんたちの平安な姿を見るにつけ、家族や看護師までが信仰をもつことも少なくないのです。
私自身は、患者さんとの関わりの中で育てられたと感じています。
ホスピスはまさに人生道場。極限状態にある患者さんたちがキリストに出会われ『いのちより大切なもの』に目覚めていく。そんな神の奇蹟を何度も見せていただきました。これまで関わってきたお1人お1人と、クリスチャン・ホスピス医としての努めを授けてくださった神様に『ありがとう』という気持ちです。」
(社会福祉法人栄光会ホスピス主監:下稲葉康之医師)
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」ヨハネ11:25