「自分の理解を越える神秘的なことば」

大学での学びの目標が定まらないまま私は心理学を専攻し、人間の心理を深く洞察する学問であることを期待しつつ、生きる意味を求めて苦悩の中にいました。一一悶々として大学生活を送っていた時、大学の近くの教会で米国からの宣教師がバイブルクラスを開くという案内を見て、心ひかれて、その教会を恐る恐る訪ねたのです。当時は気づかなかったのですが、それはまさに神様のささやくような御声だったと思います。

教会の狭い一室に二・三人の青年がいるそのバイブルクラスに大学生の私も出席するようになりました。

 

初めにことばがあった一一ことばは神であった一一この方は、初めに神とともにおられ一一」宣教師が語られるそのことばはその時まで聞いたことがなく、私には理解を越える神秘的な響きでした。バイブルクラスは毎週開かれており、学びが進んでいきました。三章の「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、永遠のいのちをもつためである」(16節)クラスで頻繁に聞いていたことは"、「ことばは神」「ひとり子」「信じる」「救われる」「滅びる」「新しく生まれる」「神は愛」「永遠のいのち」などの説明を聞きながら、理解できない一一でも知りたい一一というような表情をずっとしていたのだと思います。二、三か月たったある日、その宣教師が言われたのです。

「教会の礼拝に来ませんか?」そのことばで私は教会の礼拝に通うようになりました。その年のクリスマス伝道集会に当時ラジオ牧師として有名な土屋一臣先生が来られて三日間の連続メッセージをされました。最後の日はバイブルクラスでずっと聞いていたヨハネの福音書の一章九節「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた」を中心に語られたのです。締めくくりの祈りの中でイエス様を救い主と信じたい人は挙手をするようにとの招きがあり、私は手を挙げ、その先生の前に進み出ました。信じる心をその時与えてくださった。それこそが聖霊の働きだったのです。二十歳の十二月でした。次の年の五月にフリーゼン宣教師から洗礼を受けました。

それから六十年の信仰生活の道中には多くの悩みや闘い、苦しみもありました。精神科医の夫との結婚、三人の子どもの出産、留学に同伴、帰国後教師としての職業生活、義母を百一歳まで看護した日々などがありました。

振り返ってみれば主は私が白髪いっぱいの現在に至るまで背負い続けて運んでくださいました。

死に至るまで主は運んでくださると確信し、感謝しつつ、主を仰ぎ見て過したいと祈っています。 K・Mさん

「胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す」
(イザヤ46:3~4)