「主はぶどうの木」

中国の宣教師であったハドソンテーラー師は、その宣教があまりにも過酷でありました。

しかしそのような時に、次のように記録しています。

「私は祈り、みことばを勤勉に読み、多くの時間をディボーションにあてました。

しかし何の効果もありませんでした。ただ罪の意識が、私を圧迫するばかりでした。

キリストにとどまることがどうしてもできませんでした。

 

そんな時、友人のマッカーシーからの手紙に『信仰はどうして強められるのでしょうか。信仰を追い求め、苦闘するだけではありません。真実なるお方に信頼して安息を得ることです。』『わたし(イエス)は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』(ヘブ13:5)そして私は、ぶどうの木と枝について考えた。聖霊様は私の魂に語りかけてくださった。私が自分の努力で、ぶどうの木(イエス様)から樹液をいただこうとしていたことに気づかせてくださった。

元々ぶどうの幹にぶどうの枝がつながっているならば、そのままの姿でいればいいことなのだ。

そのことに気が付いた。その時、ぶどうの木の全体を見ることができた。

ぶどうの木は根があり、幹があり、枝があり、花が咲き、果実になる。

しかもその環境は、土があり、太陽があり、雨があり、暖かさ寒さがあり、害虫があり、様々な事柄が起きる。

しかし、これらすべてのことを知って、管理してくださる農夫がおられる。

私は農夫である父なる神様に信頼しよう。私はぶどうの幹なるイエス・キリスト様につながり(とどまり)けよう。

そして私に常に神様のすばらしい樹液を満たしてくださる聖霊様に委ねよう。そう決心した。

その時から、私がこの中国で、神様のために働くのではなく、神様が私を通して働いてくださることを学ぶようになった

私が複雑な立場に追いやられ、困難な状況に直面し、試みを多く受けるほど、神様は、偉大な力でそれらの問題を、解決してくださることを信じて忍耐して待ち望もう。そうすれば必ず、多くの恵みの実(ぶどうの実)を稔らせてくださることを知りました。生きていく上でのすべての責任は、農夫である神様が、心配してくださるのです。」

 

「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

一一一わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。

人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネ15:1.