「小学4年生の頃、母に薦められて初めて教会の日曜学校に行きました。
開拓伝道を始めたばかりの小さな町の小さな教会でした。
礼拝があり分級があり、そこで聖書のお話しを聞きました。
先生が身振り手振りで一生懸命に語っておられた姿は記憶していますが、お話しの内容はほとんど覚えてはいません。ところが、クリスマスの夜に行われた集いは、なぜか今もはっきり思い出すことができます。
視聴覚教材を使ったお話、楽しい賛美歌やプレゼントなどは子どもの心に残りました。
やや鈍い電灯の光や会堂に漂う何か甘いような香り、また夜空を見上げながら家路についたこともよく覚えています。 今改めて振り返ってみますと、 印象深く心に刻まれたもの、それらはみな五感を通してのものでした。
教材、歌、プレゼント、光、香りなどのどれもがはっきり心に残っています。
決まって読まれるマタイ福音書やルカの福音書の降誕物語なども、どこを読んでも絵画化されるから不思議です。
クリスマスについて書かれた本の中に、こんなことばが出てきました。
『クリスマスは、
/神がくださった五感の祝祭です!
/輝かしい光景をよく眺めましょう。
/芳ばしい香りをかぎましょう。
/響き合う音を聞きましょう。
/おいしいご馳走を味わいましょう。
/心引かれる織物の手ざわりを感じ ましょう。』
クリスマスだけでなく、事柄や対象を認識する場合、ことばによる説明も必要ですが、
加えて、この目で見、この耳で聞き、この舌で味わうなら、その実態をより深く知ることができます。
イエスも福音を語られたとき、五感で認識できる比喩や象徴を用いて真理のことばを伝えられたのです。
今年もクリスマスのシーズンを向かえましたが、その『大きな喜びの知らせ』
「御使いは,彼らに言われた。
『恐れることはありません。今,私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来たのです。』」
ルカ2:10)を聞くために、神が与えられた五感を豊かに用いてみましょう。
クリスマスおめでとうございます。」(堀 肇師の証し:百万人の福音12月号)
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は,初めに神とともにあった。すべてのものは,この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方に命があった。
この命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
・・・ことばは,人となって,私たちの中に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとりごとしての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。」ヨハネ1:1-5,14