私の育った家は古い歴史のある家で、父は教育熱心だったので、 私たち3人の子どもを高知市内の私立学校に送り出してくれました 。下宿していた兄も教会のバイブルクラスに出ていましたので、 私はキリスト教主義の女子高校に入学しました。
初めて手にした『 聖書』や寮での朝夕の賛美は、 ほかの学校にはないきよらかなものが漂い、 信仰をもった先生方と友人たちにも恵まれ、私も洗礼( バプテスマ)を受けることができたのです。
しかし、その後、 短大に入学したけれども何か空しくなり、『聖書』 の教えよりも自分の思いが日増しに強まり、 何かに押し出されるような気持ちで兄を頼って上京してしまいまし た。そして教会の役員の方の紹介で職場が得られ、 夫となる人も与えられ、 私にとってはすべてが望みどおりになりました。 23才の私は何ひとつけたところのないしあわせな家庭に誇りをも っていました。3人の子どもにも恵まれ、 私の人生のすべては日差しの中にいるようでした。
ところが、 いつの間にか私たちの心はお互いが自分中心という「罪」 に対して無防備なまま過ぎていきました。
その「罪」 は相手の心に届くいたわりの言葉を持たず、 素直な心は石のように変わり、 高慢さと自分本位になってしまいました。 表面は何事もないようでも、 心の中では血を流し続けていたのです。
私は相手の立場に立って、 相手と向き合うこともなく、私の心を打ち明けることもないまま、 自らを切断する思いで自立の道に踏みだしてしまったのです。 その身勝手な思い上がりの母親を子どもたちはどんな思いで見てい たのでしよう。
中学2年生の次女は急速に心のうちを爆発させ、 その姿は、 かつての私を代弁しているかのように泣き叫んでいるのです。
その叫びの中で、 私は20年前に信仰を与えられた高校生時代の時のことを思い出し たのです。
「神様は信じた者を守られると約束されました。 私は約束を信じます。
必ず娘をこの苦しみから救ってください」 と悔い改めながら、真剣に祈りました。
次女の3年間は、 娘なりに心の闘いの時でもありました。
娘は大学へと進み、 長女もカメラマンとして一歩を踏み出し、 私に共に礼拝を守る喜びを与えてくれました。
「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、 進もうではありませんか。」ガラテヤ5:25