「神に用いられる管として」

19951月「阪神・淡路大震災」で森祐理さんは、弟・渉さんを失いました。

あれから、今年で28年がたちました。

 

『丸太ん棒のように変わり果てた弟の亡骸と対面して、私の胸にも丸太ん棒で突き抜かれたかのように大きな穴があいてしまい、しばらくの間、悲しみすら感じる事ができないほどでした。』と回想しています。

でも神様は、弟の死を無駄になさるはずがない。

その信仰に支えられて、嵐のような日々をくぐり抜け、立ち直っていかれました。

『希望を奪われた被災者は、目の前に救援物資を山積みされても、食べようとする気力や、生活を立て直そうとするエネルギーは湧いてきません。でも歌には、そんな人々の心を癒し励ます力があります。

それを、私と同様に悲しみに打ちのめされた人々と分かち合いたかった。』

心に湧いてきたそんな願いを込めて被災地に足を運んでは協力者たちと共に『希望の翼コンサート』を何度も行なったそうです。『第1回は雪の降る日で、炊き出しの長い列の前で歌いました。

人々は、最後には手拍子を取り一緒に歌いだし。泣き笑いの渦が巻き起こり【アンコール!アンコール!】の大合唱になりました。

 

必ず歌う事にしているのは、弟・渉さんの葬儀で歌った聖歌397番

 遠き国や海のはて

  いずこに住む民も見よ

  慰めもて変わらざる

  主の十字架は輝けり (中略)

  ゆれ動く地に立ちて

  なお十字架は輝けり

 

この大地や社会がどんなに激動・激変しても絶対揺るがないものがある。それは、

キリストが十字架の上で私たちのために死んでくださった、それほどまでの愛である。

この愛は私達の悲しみを喜びに、苦しみを笑いに変える事ができる。

この愛を示す為に、キリストは2000年前クリスマスに降誕なさったのだった。

この曲から神様の慰めと力とがほとばしり出てくるようで聴いている人達の顔は生き生きと輝き出しました。

その後も国内、国外を問わず様々な救援コンサートを開き、集めた義援金を届け続けました。

弟が道を開いてくれたようなものです。』と語っておられる。

救援コンサートは今や森さんのライフワーク。開催するたびに新聞、ラジオ、テレビ等で報じられました。

『弟は生前【僕が新聞記者になったら、お姉ちゃんの記事をいっぱい書いてあげるよ。】と言ってくれていました。』

『弟は本当に何十もの記事を、天国から書き送ってくれているんですね。』・・・初めに森さんが信じたとおり、神様は弟の死を無駄になさらず、想像を超えるほどの大きな祝福に変えてくださった事が分かります。

昨今、我が子への虐待、無差別殺人等、天災よりもむしろ『人災』に日常的に脅かされている私たちです。

いわば『心の震災』の時代なのですね。これには神の愛、神の御言葉、神の御業を信じきる信仰が何よりも必要なのです。

 イエス様が貧しい家畜小屋にお生まれになったのは、私達の苦しみ、悲しみをつぶさに味わい、無限のやさしさ温かさで包み、癒して下さるためだつたのです。森さんは、その神様の愛を持ち運ぶ管に徹しているのです。」(ニューライフNO,58より)

 

「ある人々のように、一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしょうではありませんか。」ヘブル10:25