「聖霊の注ぎ」

私は、おばあちゃん子でした。4人姉妹の長女として生まれ、祖母は私のことを『せがれ、せがれ』(息子)と呼んで育てました。ことわざに『成せば成る。成さねばならぬ何ごとも、成らぬは人の成さぬなりけり』(自分では、できないと思っていても、その気になればできてしまうという意味)が祖母の口癖で、私はその教育の元に育てられました。祖母は、目上の者にはロ答えしない、努力する事、忍耐する事、それが大事な事と教えてくれました。 しかし、だんだん成長するに従って自分の背負っている責任の重さに押しつぶされそうになりました。小学校の時の作文に、その思いをはき出しました。私の人生は、この家を背負って行かなければならない。果たして自分にできるのか。重い・・・重い・・・。ところが高校生になった時、イエス様に出会いました。聖霊が与えられ、洗礼を受けました。
上京し、保育専門学校の入学試験の面接では、大胆に、『神は実にその独り子をお与えになったほどに、この世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命をもつためである。(ヨハネ3:16)を暗唱し、面接官に呆れられましたが、一応合格し、西日暮里で保育専門学校に通う傍ら幼稚園助手として昼間働きました。  
その間、神様に取り扱われ、神学校への道が開かれました。神学校の4年間の学びを終え、私の派遣先は、唐沢牧師と結婚し、そして牧師夫人としての働きについたのです。聖霊に導かれ、神学校での牧師夫人とは、の学びも受け、いざこれこそ正しい私の働き方と思って突き進んだ歩みは、今振り返って見ると、私の育ちの中で培われた教えがずっとつきまとっていたのです。まさに成せば成る・・・の努力、忍耐、自分の力、に頼る自己中心(自我)を美徳とする考え。牧師夫人はこうあるべきという人間的な物差しで自分をはかり、聖霊に委ねる事をせず、何か義務、正義感を優先し奉仕や子育てに突き進んでいた気がします。
後ろを振り返って見た時、そこには、私が傷つけた自分がいました。私は気が狂ったように心で叫び、もがいていました。どうしてこんなにがんばったのに、どこで間違えたのか。それから私は、12ステップというグループカウンセリングで学ぶ事になりました。学ぶ中で自分の高慢に気付かされました。
私が、私が、と常に出てくる自我、私が頑張らなければいけないという刷り込まれた教え、いつの間にか、救われた喜びから外れて、聖霊を悲しませていた事にたどり着きました。
『神様!お赦しください。イエス様、あなたを十字架につけたのはこの私の自己中心、自我の罪だったんですね。どうか赦してください。』とその時、初めて自分の自我の衣を引き裂く、自分の心を引き裂くという経験をしました。
それからの私は、その心の傷をイエス・キリストの十字架の血潮によって癒し、赦してもらい、3日目の復活によって今日も新しく生きる力をいただいています。それが私にとっての聖霊の注ぎを受け、神様に感謝する礼拝です。S・Kさん
「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。
『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人と共に住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』」 イザヤ57:15