「宣教は祈りの結果です」

藤代聖書教会牧師 唐沢伝

私は今から50年前、ブルース・へランド先生に洗礼を授けてもらいました。
先生は、私の生まれ故郷である篠ノ井に教会を建てたいというビジョンの元に宣教を始めました。
私の会社は、魚市場で、朝4:30が出勤。会社が終るのは、午後3:30でした。
洗礼を受けてまもない私ですが、仕事の帰りに篠ノ井駅前にあるテナントの2階を借りて始まったへランド先生夫妻の宣教を手伝うことになりました。それは、英会話教室に一緒に参加して、来る高校生と仲良くなることでした。
私は、高校を3月に卒業したばかりなのですぐ友達になれました。 
私は、一緒にクラスに参加して楽しく宣教活動をしました。そこでは、まもなく日曜日になると礼拝も始まりました。
しかし、私は母教会が安茂里聖書教会でしたので、そちらに参加していました。篠ノ井での宣教の手伝いは1年間続きました。私が仕事休みのウイークディにへランド先生とチラシやトラクト配布をしました。 ある冬の朝のことです。
へランド先生は片方の足が悪く、足をひきずりながら駅から出てくる人達1人|人に、
慣れない日本語で『おはようございます。お読みください!!』と丁寧に渡していました。
私も慣れない手付きで『おはようございます。お読みください。』と配りました。
ひとりのの中高年の男性が英会話教室に参加するようになり、その方は、私を息子のように可愛がってくれました。
私は、その次の年に東京キリスト教学園という神学校に入学が決まって、行くことになりました。
その中高年の男性がイエス様をはっきりとは信じませんでしたが『唐沢君、これから神学校で聖書を勉強するのだから、聖書が必要でしょう。私が自分のものと、あなたのもの2冊買いますから』と言って、私にプレゼントしてくださいました。へランド先生夫妻は、それから4年ほど続けて宣教しました。
しかし、そこでの宣教は、2~3人の洗礼者は与えられましたが、教会はできませんでした。この宣教の種まきがなされて42年後。鈴木義明先生ご夫妻が、福音自由教会から遣わされて、教会が建てられたのです。
鈴木先生ご夫妻は、篠ノ井を開拓する前は、長野の上田市で教会を開拓し、建てられました。
そして、7年前に篠ノ井の教会を開拓されました。
この開拓では、多くの協力者が与えられて主の業がなされています。
韓国から若いキム先生夫妻とお子さん2人、鈴木先生の娘さんと結婚した、福島有基兄夫妻とお子さん2人。 
この御夫婦は、土浦めぐみ教会から篠ノ井に移住して鈴木先生の宣教を今年から助けておられます。
『神のなさることは、全て時にかなって美しい。しかし、人は神の行なわれる御業は初めから終りまで見きわめることができない』伝道者の書3:11
・・・先日、私は長野で教誨師の会議がありましたので、立ち寄らせていただきました。
すばらしい礼拝堂、教会集会室と牧師館が一緒の建物が2つありました。
神様は50年後に祈りを叶えてくださいました。ブルース・へランド宣教師夫妻と共に蒔いた福音の種が実を結んだのを見て、主を崇めました。ハレルヤ!!

『こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数が増えて行った。』使徒9:31