「父の家=天国=祈りの家」

今年のテーマは「主にある祈りの家」です。

 

今まではルカ福音書からイエス様の教えてくださった祈りについて、そしてイエス様ご自身が祈られた7つの箇所を学びました。今日は新約聖書のマタイ21:12~16でイエス様が「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」と言われたことを学びたいと思います。

 

このテキストは、イザヤ56:1~8の旧約聖書からの引用です。

イエス様は十字架につけられる6日前の日曜日に、子ロバに乗ってエルサレムに入城されました。

イエス様の使命は、私たち罪人の身代わりの代価をはらう小羊として十字架でほふられ(殺され)3日目に復活して新しい命に生きる保証を与えてくださいました。

このことを信じる者はイエス・キリスト様によって新しく造り変えられるのです。(元の人間の本当の姿にもどされる)このことをこの箇所が語っています。本来は神殿は神様が存在する場所です。

しかし形骸化したユダヤ教のパリサイ人、律法学者は、自分の利益のために神殿(宮)で儀式を行なう為に、犠牲を捧げる動物の売り買いをするための商売によって私腹を肥やしていました。

本当の神様を礼拝することからかけ離れていたことを、主イエス様は憤ったのです。

「祈りの家」と使われた意味
祈りとは ①神様との「会話」です。②そして「呼吸」です。人間が神様に造られた者として生きていくための霊的呼吸です。ですから神殿礼拝は人間が生きるために神様にお会いし、会話し、霊的呼吸ために必要不可欠なことです。今日のこの礼拝がこのことを果しています。
「祈りの家」の完成は、天のエルサレム神殿(天国)(黙示録21:1~5)です。ですから地上の礼拝は不十分(不完全)です。現在の教会で行なわれることは 
⑴「救い(いやし)」です。マタイ21:14「宮の中で(門がある広場)盲人や足の不自由な人達が来たので、イエスは彼らをいやされた。」教会の目的は宣教して、罪(病)からいやされること、救われることです。
イザヤ56:1~8は救われた者の行なうことです。
①安息日(礼拝)を守り
②神様の喜ぶことを選び
③神様の契約を堅く保ち
④神様に連なって
⑤主に仕え、
⑥主を愛し、
⑦主のしもべとなること 
この信仰生活は天の都(天国)での訓練(練習)の時なのです。この地上の信仰生活を楽しみ、ささげること(献身)の完成(結果)が天で神様と共に住むことなのです。
⑵ そして「賛美(祈り)」ことです。
マタイ21:16「あなたは、幼子たち(単純)と乳飲み子の口に賛美を用意された」
「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」黙示録5:12
幼子たち(純粋)、乳飲み子たち(母親によりすがる)の口に賛美を用意された(ギリシャ語カタルティゾォ)の意味が大切です。「まったく完全な者にした。本来あるべ姿に戻される」です。
「あなた」=「神様」ですから、神様はイエス・キリストの十字架と復活による贖い(イエス様が罪の身代わりとなって死んで3日目に復活してもう罪の代価を二度と要求しない)によって、この福音を幼子のように単純に、乳飲み子のように親である神様によりすがって信じる者に「最高で完全な賛美(祈り)をする者にしてくださったという意味です。
今日、礼拝をささげている私達は、地上ではまだ赦された罪人で不完全です。
しかし、神様は主イエス・キリストを通して聖霊によって礼拝する者として受け入れてくださっている。
このもうすでに天の都(神殿)での礼拝を今ここで不完全であっても、完全なもの(新しく造り変えられた者)としてささげることができるのです。
ハレルヤ、主よ、感謝します

「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」黙示録5:12