「神様に生かされて」

私は放蕩息子でした。生まれつき左手の指がないことで、自分は人よりも劣っているとずっと思って生きていました

劣等感で心を閉ざし、孤独に生きてきました。学校ではいじめにあい、居場所をいつも探していました。

もう死んでしまいたいと思うようになり、日本にいたら自分が壊れてしまうと感じ、18才の時にアメリカに家出する計画を立てました。だれも知らない場所に行けば、新しい自分になれると思っていたのです。

しかし、場所が変わっても何も変わりませんでした。言葉もわからず、文化も違う社会で、より一層苦しくなりました。そんなとき、アメリカで一人の日本人牧師に出会います。私の生涯の恩師になる方に出会ったのです。

その方は無鉄砲な私を、何も言わずに面倒を見てくれました。あるとき、私が警察沙汰になる事件を起こしてしまったのですが、それでも私をあきらめずに、そばに置いてくれ、いつも祈ってくださいました。私が死にたいという思いを伝えた時、恩師は私にこう言いました。「おまえの中に希望がないのはわかった。おまえは人生を遠回りしてきた。将来、今のおまえみたいに苦しんでいる人と出会うだろう。そのときに、その人を救えるのは遠回りをしてきたおまえだけだ。だから、将来出会うその人のために生きなさい。おまえの経験した苦しみは人のためにあるのだから。それが十字架にある希望だ。」

私はこの言葉を聞いた時に、初めて心に平安を感じました。この時、私は自分の存在が初めて肯定されたと感じたのです。

恩師を通して、神が私を愛してくださっていることがわかったのです。

私の人生は私が始めるのではなく、神の前にまず出た時、神が私を愛して、そのままの私を受けとめて神様が人生を始めてくださることを知りました。」(「信じて苦しい神人に」:中村穣氏著)

神様は、初めです。(創世記1:1)
神様は、人間を造られました。
                               (創世記2:27)
「すべてのことが、『神から発し、神によって成り、神に至るのです。』どうか、このに神に栄光が永久までにありますように。アーメン」(ローマ11:36)と御言葉にあるように、すべては神様によって生かされていることに感謝しましょう。
 現在、私たちに聖霊様が恵みの雨を降らせてくださり、神様を教え、生かされていることを教えてくださいます。
「私たちは、知ろう。私を知ることをせつに追い求めよう。
主は暁のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来て、後の雨のように、地を潤される。」ホセア6:3