「神共にいます」

クリスマスで実現する旧約聖書の預言の成就はたくさんあります。

今回も名前から学んでみましょう。

 

キリストはヘブル語(--アハ=メシヤで油注がれた者で旧約時代には王、祭司、預言者、の3職の任命式に油注ぎが行われました)キリスト=メシヤはこの3(、祭司、預言者)を兼ね備えたお方です。

イエスはヘブル語(イェシュアで『主は救い=救い主』という意味です)・マタイ1:21にはイエスという名の意味について「その名をイエス(救い主)とつけなさい。この方こそ、ご自分の民を(その罪から救ってくださる方)です。」と言われています。この全てのクリスマスの出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためでありました。

見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちと共におられるという意味である。)

(マタイ1:21~23)クリスマスはイエス様(救い主)がキリスト(油注がれた王・祭司・預言者)としてこの世にこられた日なのです。マタイの福音書はユダヤ人のために書かれたものです。

旧約のメシヤ(キリスト)のひな形(モデル)のひとりはモーセです。

イスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出した救い主でした。

それはイエス・キリストが罪の奴隷の状態であった私たち人間を救い出すためにお生まれになったことです。その「救い主=イエス・キリスト」は神の子として罪のないお方が、私達の罪の身代わりとなって十字架につけられ、

3日目によみがえられました。その贖いの御業によって私達はの赦し体のよみがえり永遠の命という神様からの恵みをいただいたのです。マタイは福音書の初め11節に「アブラハムの子孫、ダビデの子孫イエス・キリストの系図」と題したのは『神が私たちと共におられる』ことの歴史を書いたものです。

ダビデは、王・祭司・預言者としての3職をそなえた者としてサムエル記に書かれています。

「万軍の主はこう仰せられる。わたし()はあなたを羊の群れを追う牧場からとり、わたし()の民イスラエルの君主()とした。そしてあなたがどこに行っても『あなたと共におり』あなたの前であなたの全ての敵を断ち滅ぼした。わたし()は地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。」  (Ⅱサムエル7:8~9)

 

聖歌588番は、私達がイエス・キリストを信じて歩む人生のことです。

しかも現代の私達は、聖霊様がいつも共にいてくださるのです。

(ヨハネ14:16~17)現代の私たちの苦しみ、悩み、悲しみの中で共にいて助けてくださる神様なのです。

 

「主と共に歩む」

主とともにあゆむ そのたのしさよ

主のふみたまいし みあとをたどる

ひとあしひとあし 主にすがりて

 たえずたえず  われはすすまん

 

あかごにひとしき かよわきわれは

ただ主にすがりて 命にあゆまん

ひとあしひとあし 主にすがりて

 たえずたえず  われはすすまん

 

はなさくのはらも ちにそむたにも

みちびかるるまま 主と共にゆかん

ひとあしひとあし 主にすがりて

 たえずたえず  われはすすまん

 

イエス(救い主)・キリスト(王・祭司・預言者として油注がれたお方)は、すべての時代(過去も、現代も、未来も)人々を罪から救ってくださり、天国で共にいて、住んで、交わりを持ってくださるお方なのです。

そして、私達は天国でイエス・キリストと永遠に共に住む民となるのです。(黙示録21:3)