「赤ちゃんのおかげで」

「クリスマスなんて来そうにもないわ」私はふさいだ気持ちで窓から外をながめていました。

「あら、3週間ちょっとでクリスマスでしよ!」母が言います。

そういう意味じゃないの。今年はちっともクリスマスらしくないということよ。」

南カリフォルニアに引っ越して8ヶ月もたっていましたが、年中温暖な気候のために季節感がおかしくなってしまい、カレンダーを見なければ、もう12月の第1週だとは思えないほどだったのです。

12月だと言うのに、晴れ上った青空をバックに、アコーディオンのひだのような葉をつけたしゅろの木が見えるだけです。花壇には極楽鳥花やナイルのユリが咲き誇っています。

私たちにとってはこのサンディエゴの何から何までが初めてで、なじめないのです。

派手なピンクに塗られたこのアパートの建物は、小さいながら、実に能率的です。

新しい土地では知らない人ばかりです。友人は2、3人いましたが、学校以外で会うことはまずありません。

アパートの隣に住んでいても往来はありません。1階の入口のところにある郵便受けのおかげで、住人の名前はわかりましたが、それ以上ではありませんでした。たまに通路で顔を合わせても、顔と名前が一致することはないのです。当時多くの人がしたように、私たちも定収入を求めて西海岸に移住してきました。

父が職を得られたことはとても幸運なことでしたが、孤独感、孤立感を埋めるものではありませんでした。そんなある日、遠慮がちにドアをたたく音がきこえました。ドアを開けると、小さな男の子がじっと見上げています。

「お母さんが病気なの。」男の子は私の手をとると、通路を通り、あるワンルーム・アパートに入りました。

母が後についてきてくれました。がらんとした部屋に傘もついていない裸電球が1つついているだけでした。簡易ベッドが2つ壁に並べてあり、1つには2歳位の小さな女の子が大きく目を見開いてすわっておりもう1つには子どもたちのお母さんが横になってうめき声をあげていました。

「予定よりもだいぶ早いのです。助けてください。お願いします。」母はベッドのそばにひざをついて、その女の人が安心できるように優しく話しかけました。私は救急車を呼ぶために電話を借りようと、アパートの各部屋をノックして回りました。女の人が病院へ運び込まれる頃には、同じ階の住人の大半が通路に出てきて、いったい何事が起きたのかと見ていました。「亭主はどこだ?」その質問に母はこの若い女性エビー・ギブソンが二人の子どもを連れてコロラドからバスでサンディエゴまで来たいきさつ、そして今は船で仕事をしている夫の特別手当の小切手がいまだに手元に届かず、お金に困っていることを皆に話しました。予定より6週間も早く陣痛が始まったのはおそらく、いろいろなことを心配したせいだったのでしょう。「さあ、ともかくこの2人を寝かせてあげましょう。

私のところに部屋がありますから大丈夫ですよ。」集まっていた人たちはゆっくりそれぞれの家に帰り始めましたが、どの人もまだ何かやり残したことでもあるかのように、帰るのをためらっている様子でした。翌朝早く、通路を隔てたアパートに住んでいる女性がモーニング・ロールを持ってきてくれました。「ハリーと申します。」「どうぞ、お入りになって。ハリー。」母は名前で呼び合う隣人ができたことに大きな満足を覚えているようでした。一一その日学校から帰ると、エビーに1815gの男の子が生まれたことを母から聞きました。そして母はこのニュースを同じ階に住む住人全員に伝えたのです。するとエビーと赤ちゃんが入院している間に彼らは、工ビーたちの部屋の修理にとりかかりました。壁のペンキ塗り、ベビーベッド、ベッドのサイドテーブル、赤ちゃんの揺り椅子、レース編みのテーブルクロス、そしてハリーと母を含める5人の婦人たちでパッチワークのベッドカバーを何日もかけて作りました。手と針を動かしながらお互いの身の上話の交換はとても楽しいものとなりました。エビーが赤ちゃんと退院した時、私の父はクリスマスツリーを買ってきて、みんなで飾り付けをしました。

(クリスマス物語より)イエス様がマタイ7:12でこのように言われました。「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。