「主が私達を造られた」

今年私は「主にある創造」のテーマで 1年間のメッセージを伝えたいと思います。 

今日は詩篇100篇からです。この詩篇の題は「感謝の賛歌』です。

その大きな目的は、イスラエルの民が、神殿で主を礼拝する為に歌われた詩篇です。

主なる神を礼拝する事は『主に創造された私達人間のすることだからです。』

この事についてネヘミヤ8:10で『主を喜ぶ事はあなた方の力です。』

とネヘミヤは礼拝のメッセージで言いました。

 

<Ⅰ>主を礼拝する喜びは神を知る事です。

(1)知れ、主こそ神(存在する神)

(2)主が私達を造られた(創造主なる神

(3)主は慈しみ深い(愛なる、憐れみ深い神)

(4)その恵みは永久まで(平安、楽しみの神)

イエス・キリスト様こそ私達の礼拝する喜びです。イエス様は私達を創造された神ご自身であります。(ヘブル1:2-3

そして私達を霊的に(心、魂)を新しく創造してくださったのです。

それは罪人である私達を贖う(罪を赦す)ために旧約時代の小羊のように、イエス様が身代わりとなって十字架で死んで下さったからです。神様は私達を愛する為に命を与えて下さったのです。

 

神はその独り子(イエス・キリスト)を遣わし、その方によって私達に命を得させて下さいました。

ここに神の愛が私達に示されたのです。・・・神が私達を愛し、私達の罪の為に、なだめの供え物(贖いの代価)としての御子(エス・キリスト)を遣わされました。ここに愛があるのです。』(1ヨハネ4:9~10)                                

 

 詩篇100:5『主は慈しみ深い(愛なる方)その恵みは(の赦しによる平安)とこしえまで(永遠の命)です。」

 

<Ⅱ>主を礼拝する喜びは神に創造された自分がいかに罪人であるかを知る事です。

詩篇100:3『知れ。(命令形)

      主が私達を造られた。

            私達は主のもの、主の民、その牧場の羊である。』

羊とは

(1)弱いものです。

(2)自己中心でわがまま。

(3)近視眼で目先の事ばかり考える。

(4)高慢、自分かってです。

牧者に導かれなければ、決して生きられないものです。

ですから主なるイエス様は『私は良い牧者です。良い牧者は羊の為に命を捨てます。』(ヨハネ10:11)と言われて、十字架で私達の自己中心、わがまま、高慢、自分かってな罪を赦して下さったのです。

『私達がまだ罪人であった時、キリストが私達の為に死んでくださった事により、神は私達に対するご自身の愛を明らかにしておられます。』(ロー5:8)

 

Ⅲ>主なる神を礼拝する喜びの表現

(l)儀式の礼拝

詩篇:100:1『主に向かって喜びの声をあげよ(命令)』詩篇100:4『感謝しつつ主の門に、賛美しつつ、その大庭に入れ(命令)主に感謝し、御名を褒め讃えよ(命令)』つまり礼拝は主イエス様の(十字架と復活によって)贖われた者としての賛美と感謝の表現の場所なのです。

 

(2)奉仕の礼拝

詩篇100:2『喜びをもって主に仕えよ(命令) 喜び歌いつつ御前に来たれ(命令)』

あなたがたの体を聖い生きた供え物としてささげなさい。それこそあなたがたの霊的な礼拝です。』(ローマ12:1)

現代の私達の神殿は教会です。毎週、日曜日に行なわれる、主日礼拝は儀式の礼拝です。

そして、私達は主の者、主の民、その牧場の羊として主に仕える(奉仕の礼拝)を教会という共同体で行なっているのです。

『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」詩篇23:13