「光よ。あれ。」

人間は①なぜ生まれてきたのか?(存在の理由)

人間は②何のために生きるのか?(生きる目的)
人間は③死んだらどうなるのか?(死後の意味)
この答えは創世記1:1にあります。『初めに神が天と地を創造した。』
①人間は、神様が創造したから存在しています。(理由)
②人間は、何のために生きるのか?この答えも神様が創造されたのですから、「神様の栄光を表わすため(イザヤ43:7)」「神様を喜ぶため(詩篇33:1、11、21)」
③人間は死んだらどうなるのか?この答えも聖書は「イエス・キリスト様(神ご自身)が私達の罪の結果与えられた死を解決するために、この世に来られて十字架で身代わりとなって死んで、復活されたことによって、新しい命を与えてくださいました。この贖いを信じる者は、肉体は滅んで(死んで)も天の御国で神様と共に生きる永遠の命が与えられるのです。
【1】創造の意味
創世1:1-5 「初めに神が天と地を創造した。」
ヨハネ1:1~5 「初めにことばがあった。ことばは神と共におられた。ことばは神であった。この方は初めから神と共におられた。」
「天」(宇宙)と「地」(地球の世界)はイエス・キリスト(ことば)によって創造されました。
イザヤ42:5 「天を造り出し一一地とその産物を押し広め、その民に息を与え、この上を歩む者に、霊を授けた神なる主。」
ヘブル11:3 「この世界は神のことばによって創造されたのであり、したがって見えるものは目に見えないものからできたことが分ります。」
【2】人間の創造された目的
イザヤ43:7「神様の栄光を表わすため」
詩篇33:1、11、21「神様を喜ぶため」です。これは、私達人間の側です。神様の意図した目的は「神様が愛する存在として創造しました。
イザヤ43:4「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
ここに聖書が書かれた理由があります。『天地創造』の創造(バーラー)は人間のためであります。神様が人間を愛していることを伝えるために書かれたのです。科学のことを証明するものではありません。組み立て、計画し、目的によって秩序があり、造られました。
ヨハネ1:1~18 人間は神が愛する存在として今ここにあります。人間は罪を犯して闇がこの世に入って来ました。その罪の闇から救い出すためにイエス・キリストがこの闇の世に来られたのです。(クリスマス)
ヨハネ1:14 「ことば(イエス・キリスト)は人となって私達の間に住まわれた。」ことによって「私達はこの方(イエス・キリスト)の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方(イエス・キリスト)は恵みとまことに満ちておられた。」
ヨハネ1:5 「光(イエス・キリスト)は闇の中に輝いている。闇は、これ(イエス・キリスト)に打ち勝たなかった。」
創世1:1~2 「闇が大いなる水の上にあり、神の聖霊が水の上をおおっていた。その時、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。
この世の闇 この世は罪に汚された世界。サタンと悪霊どもに支配されて、罪の奴隷の状態です。闇です。この闇(罪)の世界から救い出すためにイエス・キリスト様が『光』となってこの世に遣わされたのです。
ヨハネ1:5 『闇(罪を支配するサタン、悪霊ども)はこれ(イエス・キリスト)に打ち勝たなかった』のです。
ヨハネ3:16 「神は実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者がひとりも滅びることなく永遠の命を持つためである。
【3】新しい創造 (イエス・キリストを信仰する)
コロサイ2:12~15 私訳「あなたがたは洗礼を受けた時、キリストと共に葬られ、キリストと共によみがえらされたのです。それはあなたがたが、キリストを死からよみがえらせた神の力を信じることを通してです。あなたがたは多くの罪に死んだ人間、無割礼で死んだ人間であります。(現在)神はあなたがたのすべての罪を赦し、そのあなたがたをキリストと共に生き返らせてくださいました。神はしきりに私達をせめたてる不利なもの(借金)や、色々やかましい規定のすべての証書を十字架に釘づけて無効にしてくださいました。そしてこの世で支配し、権威をふるっている悪霊どもからいっさいの力を奪い悪霊どもを捕虜としてキリストの勝利の行列の見せ物として加えてしまわれました。」
(まとめ)ガラテヤ5:19~21 今日、私達は罪という闇の世界に生きています。「ねたみ、争い、汚れ、好色、悪いあそび、悪い考え、貪欲、人を欺き、そしり、高ぶり、悪口、陰口、嫉妬、一一一などいっさいの罪をイエス・キリスト様に悔い改めて赦していただきましょう。
「だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。」 Ⅱコリント5:17