「御霊を消してはなりません」

     ディック宣教師
マレーシアから帰国したポール・フレミンという宣教師がいました。ポールさんは、情熱的な方で、そのメッセージは力強く、影響力のある方でした。
くちべたならプラカードを持てば良い、トラクトを配れば良い、出来ないことは何もない」と教えてくれました。また、「宣教するなら、その土地の人々に仕える者になり、そこの人々と共に出来るような伝道をし、あらゆる点で模範になりなさい。自分の骨をその国に埋める覚悟で行きなさい」と言いました。
そして、ポールさんはこのみ言葉を教えてくださいました。
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。
しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」ヨハネ12:24
私はその日にバプテスマを受け、神様のために生きる決心をしました。
ポールさんはボリビアヘ開拓伝道に向かう途中、飛行機事故に遭い、天に召されました。しかし、彼のスピリットを多くの若者が受けとり、国々へ宣教に出て行きました。あれから約70年経ちますが、彼の言葉は、今でも熱く私の心に留まっています。・・・高校卒業後、19歳で、兄のいる日本に宣教師としてやってきました。
戦後の日本はとても貧しく、豊かなアメリカと比べ物にならない生活でした。
地元の人より豊かな生活をしてはならないと教わっていたので、日本に合わせた生活をしました。それから日本にいる宣教師たちが集まり、そこで救われた日本人と共に聖書配布協会が始まりました。
日本に来て数年経ったころ、アメリカから仕事でやって来た知人と会う機会がありました。
日本の状況を目の当たりにした彼は、伝道の重要性を知り、献金したいと申し出てくれました。
私が日本に来るとき、アメリカからの経済的な支援はなかったので、これが初めてのサポート献金となりました。
それから34年間、毎月続けてくださいました。
神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:33 この御言葉を体験した最初の出来事でしした。
・・・私は、34歳の時に日本に帰化し日本人となりました。
82歳になるまで60年間アメリカに帰ることはありませんでした
87歳になりましたが、今もキャンピングカーで日本中を回って伝道しています。・・・石垣島を伝道中、地元の方に「ディックさん!」と呼び止められました。その方は、60年前、東北で共に伝道したことのあるクリスチャンの男性でした。今は石垣島で教会の働きをしているそうです。
私の風貌はだいぶ変わりましたが、すぐに気づいて下さいました。クリスチャンはキリストの肢体としてそれぞれに役割があることを知りました。また、教団教派の壁を越え、御霊の一致を持って魂の救いのために心を合わせるなら、日本は必ず救われ、変わると信じて活動を続けています。」
「聖霊が、あなた方のうちに、望まれる時、あなた方は、力を受け
エルサレム、ユダヤとサマリア及び地の果てにまで、私の証人となります。」使徒による働き1章8節