「いのちの息」

【1】人間は神のかたちに創造された

創世1:27-28「神は、人をご自身のかたちに創造された。」

人=アーダーム 地、土=アーダマ- (人=地、土)

『かたち』ヘブル語(ツェレム)の意味(像,イメージ,型どる,型に流し込む=鋳型に入れる)

「神のかたち」の意味。創世記1:26「神はわれわれに似るように、われわれの型に人を造ろう。」神=エロヒームは複数です。「われわれ」は「父、子(イエス・キリスト)、聖霊」の三位一体の神様のことです。この三位一体の神様はそれぞれの働きの役割があります。(1)「父なる神」はすべてのことの計画をなさいます。

 

(2)「子なる(イエス・キリスト)」は罪の贖い主としての実行者です。(3)「聖霊」はイエス様を信じる全ての人を助けます。三位一体の神様はそれぞれの働きによって愛の交わり、愛の関わりをもって人間の創造にたずさわりました。 イエス様はヨハネ

14:10-12「わたしが父におり、父がわたしにおられること」ヨハネ14:16-17「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなた方にお与えになります。」

14:26「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなた方全ての事を教え・・・思いおこさせて下さいます。」

 人間は三位一体の神様の愛の交わり(かかわり)に「型どり」(愛の交わりをする存在として)創造されたのです。

創世記2:3「第7日目を祝福し、この日を聖であるとされた。」これは人間(アダム)が罪を犯した(創世記3章)後に出エジプト20:8~11に安息日として定められた理由は「三位一体神様が人間に祝福を与える日が礼拝の日です。」

礼拝することの意味【祝福】とは神様と愛の交わりができる事です。それが礼拝です。

 

【2】「いのちの息」(聖霊)

創世記2:7人間は「神のかたちに創造された。」おかげで、神様と交われる存在、愛し合う存在、かかわりをもてる存在となりました。『息』ヘブル語(ルアハー)ギリシャ語(プニューマ)でその意味は【風、息、霊】

人間は他の被造物とは違って「命の息」が吹き込まれ人間は「生きもの」となったのです。

 ヨハネ3:1-16パリサイ人の律法学者ニコデモがイエス様に質問しました。「人はどのようにして生まれ変わることができましょうか?」イエス様の答え3:5「人は水と御霊によって生まれなければ、神の国に入る事はできません。」ヨハネ3:6「肉から生まれた者」は創世記2:7「土地のちりから造られたもの」です。

しかし【いのちの息=聖霊】が吹き込まれると【生きたもの】となったのです。

 現代私達の【いのちの息=聖霊】が吹き込まれる為に必要な事は、イエス・キリスト様が私の罪を赦すために自身から身代わりとなって十字架についてくださり、3日目によみがえって永遠の命を実証してくださいました。

この事実を信じる事が必要なのです。「神は実に、その独り子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世(私・あなた)を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命(神様との交わり、愛し合う関係、かかわりをもつ存在)を持つ為である。」ヨハネ3:16

 

【3】愛することの確認(心からの愛)

2:9「いのちの木・善悪の知識の木」

2:16『エデン』ヘブル語の意味(喜び・歓喜)

「エデンの園」にはすべてのものがありました。その名前でわかるように、物質的なことだけでなく、神様の愛の交わりにおける「喜び・歓喜」が満ちあふれていたのです。「なぜ神様は中央に、いのちの木だけではなく、善悪の知識の木を生えさせたのか。善悪の知識の木がなければ、人間は取って食べることがなく、罪も犯すことがなかったのに。」この質問の答えは、神様は人間に『自由意志』を与えられたということです。神様は『愛』を人間から知るために、ロボットのようには創造しませんでした。創世記1:27『三位一体の神のかたち』はお互いの愛の交わり、かかわり合いの中に生きる型に流し込んだのです。ですから創造された人間は、自ら進んで神様を愛してほしかったのです。『善悪の知識の木』の実に毒があり、食べた事で死んだわけではありませんでした。なぜなら創世記5:5「アダムは930才生きた。」と書いてあります。この死は「神様と交わることからの断絶」です。

創世記2:17神様との約束は「この木から取って食べてはならない。あなたは必ず死ぬ。」というものでした。しかし、不服従に約束を破りました。この罪(神様との断絶)救い出していただく為に現在に生きる私達は「いのち」であるイエス・キリスト様を自分の罪(神様との断絶)から救ってくださる、救い主と信じる事です。

 

「わたしのことば(イエス・キリスト)を聞いてわたしを遣わした方を信じる者は永遠の命(神との交わり)をもち、さばきにあうことがなく、死から命に移っているのです。」ヨハネ5:24