「救い主イエス・キリストを着る」

【1】主の約束を破った結果
神様の創造(バラー)は「神の計画、意図、秩序正しく」組み立てられました。
人間が造られた目的は「神様が愛する存在として創造されました」イザヤ43:4
わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している
」天地創造は、神様が人間を愛するためでした。
その愛の関係が、エデンの園(喜び、楽しみの世界)でした。
神のかたちに「男と女」とに造られた人間は完成されたことによって「男と女、夫と妻」との結び合いは神との愛の関係を意図(バラー)されたものでした。
ところが人間は創世記3章で「愛の関係が破壊」されてしまいました。
それは神が「食べてはならない」と言われた「善悪を知る木」をヘビ(悪魔、サタン)に誘惑されて「神との愛の交わり」から離れる状態になりました。
これが聖書の「罪」という意味です。そして「善悪を知る」木の実を食べた結果は死でした。サタンの誘惑は「神様のことば」を歪めて話すことによって「自由意志」が与えられた人間を神から離れさせることでした。
創世記3:1~6の誘惑される会話は、ヤコブ1:14~15「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます」この通りになりました。
【2】主の救いの計画の初め(福音)
創世記3:21「神である主は、アダムとその妻のために皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」「着せる」(ラーヴァシュ)は「着る、身に付ける」「罪」は「神との愛の交わりから離れること」です。
1 創世記3:7「目が開かれ」(自分中心にものごとを考える)「彼らは裸であることを知った」(裸が恥ずかしいと思うことは神様の保護が失われたことの意味です)3:5「神のようになり」は(自分が神の座について、すべての判断を自分中心に考えるようになることです。)人間は「土から造られたもの」(2:7)「ふたりは一体(一つの肉)となる」ことから「肉という弱さ、土というもろい」器にしかすぎません。そんな人間が「神様からの守り、保護し愛される関係を失えば裸であることが恐れでしかないのです」ですから「いちじくの葉で腰をおおい」(3:7)「木の間に身を隠した」(3:8)この事が「神の裁かれることでした」しかし、憐れみ(愛)深い神様は、そのままでほってはおかず、もう一度「罪と死の中から救い出し、永遠の命を与える救いの計画をしたのです」(3:21)
①救いの計画
(1)「皮の衣」(3:21)
人間が神の約束を破ったことは「不信、不従順」という罪を生み、そして死という結果となりました。そして「地はのろわれたもの」となりました。(3:14~19)「地が呪われた」ことは「いばらとあざみ」という「とげ」をもった雑草が生えることになりました。この「罪と死のとげ」を覆うための「衣」が「皮の衣」でした。「皮の衣」の「皮」(オール)は「動物を殺して剥いだ皮」です。「衣」(クット一ネット)は「袖のついた長服」です。この「袖付きの長服」は出エジプト29:5、8「あなたは装束を取り、アロンに長服と工ポデの下に着る青服と一一」※「皮の衣」は「イエス・キリストの贖いのひな型です」小羊という動物を罪の罰の身代わりとして殺し、その罪の赦しとして「義の衣、救い(贖い)の衣」を「皮の衣」として「罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じる全ての人に着せてくださるのです。
(2)「着せる」(3:21)(ラ一ヴァシュ)は「着る、まとわせる、覆い隠す」の意味。1 「皮の衣」(皮の長服)は人間の罪と死の恥を「覆い隠す」ために「着せてくださった」(3:21)ものです。また、罪と死のとげから守るためには「布」でなく「とげを通すことのない動物の皮」でなければなりませんでした。神様は「私達がまだ罪人であった時、キリストが私達のために死んでくださったことにより、神は私達に対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)
また「死のとげは罪です一一しかし神は主イエス・キリストによって勝利を与えてくださいました。1コリント15:56~57では「皮の衣」は破れることなく、永遠に罪を赦し復活によって死のとげは取り去られたのです。・そして「皮の衣」(皮の長服)を作るためには大切な行程がありました。「動物を殺して血を流さなければ皮を剥ぐことはできません」ヘブル9:22「血を注ぎ出すことがなければ罪の赦しはないのです」命の代価である血によって「罪が覆われる」という「罪の赦し」という「皮の衣を着せられるのです」
(2)「着せる」(ラーヴァシュ)の「覆う」=「聖霊が覆う」
・士師記「主の霊がギデオンを覆ったので一一」
・ルカ24:49「わたし(イエス・キリスト)の父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」
•使徒1:4~5「エルサレム(都)を離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。一一もうまもなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
・使徒1:8「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき(覆う)とき」
つまり現代のクリスチャンにとってイエス・キリストの十字架と復活の「義の衣・救いの衣」は「聖霊様」に「覆って」いただく「満たしていただく」ことによって「悪魔の策略(誘惑)に立ち向かうことができるのです。
【まとめ】「御霊(聖霊)の与える剣である神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いてどんな時にも御霊によって祈りなさい。」イエス・キリスト様の十字架と復活による「義と救いの皮の衣」を着て「聖霊様に覆って」いただき、神様の愛の関係に立ち返り「喜びと楽しみ」のエデンを待ち望みましょう!!