「自分の見方から、神様の見方へ」

「今、振り返って見ると幸いな人生に導かれてきたと感じる。

多くの人々が、自分の偏狭さに気づかせてくれた。

それらすべては神様が与えてくださった出会いであり、神様が聖書により、また社会経験を通して、自分の誤りに気づかせてくださったのだ。

自分の固い殻から解放され、心豊かにされたことに心から感謝している。

少し遡り、進学のため、上京してきた頃の話。通学・生活は楽しさより劣等感に苛まれる失望の底にあった。そんな時、キリスト教の案内を配るアメリカ人宣教師親子に出会う。

キリスト教とは、立派な道徳、倫理を教えるいい宗教だ、便宜的に理想や正しさを教えるため神やイエス・キリストを象徴として立てているだけだと思っていた。

ところが行ってみると高齢の牧師から語られた聖書の言葉に引き寄せられ、違う何かを感じ始めた。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして減びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16話がよくわかり、理解できたわけではなかった。

しかし、「神が、私を愛された」が、何か心にとまった。

理屈ではなく、キリストは私とは無関係なのに、十字架で命をもお捨てになるほどに、私を愛してくださったという事実が迫ってきた。はじめは無視しようとしたが、そのまま素通りはできなくなった。「私を愛された」が真実なら、イエス・キリストを受け入れたいと心が動き、自分の罪(拒絶していたこと)そしてイエスの犠牲の愛に気づかされ、信仰に導かれた。心は重石がとれたように平安になった。神の愛や慈悲深さは、誰もが求め、それぞれの考えや信仰で受け止めている。

それがどのように生活に表されているかに、気づかされたことがあった。エジプトで生活していた時、親しくなった男性がいた。産婦人科医で、明るく冗談を飛ばす朗らかなキリスト者。昼は公立病院に勤務し、夜は、私立クリニックで働く医師で、とても家族思いだった。妻と息子2人、娘1人。実に賑やかな家族だ。息子も医師になろうと頑張っている。

彼の妻は優しく積極的に人に仕える温かい人だった。

驚いたのは彼女が息子と一緒に高校を卒業し、その後聖書神学校に入学したこと。

夫は妻を心から応援し、夫と妻が対等に愛し合っていた。聖書は男性と女性の役割は違うが、神様は対等に造られたといっている。イエス・キリストは男性をその不自由さ、病から救われたのと同じように、女性たちの痛みも顧みられ、お救いになられた。

神様の愛が、どこに現されるかを思い巡らした時、イエス・キリストのなされたことのうちにあると、気づかされた。聖書に、姦淫の場で捕らえられた女性の場面がある。

学者や、社会のリーダーである男性たちが、教えからすれば、この女性を石打ちで殺すべきだとイエスに迫る。相手の男がどこに逃げたかについては説明がない。

「しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。

あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。』一一年長者たちから始まり、1人、また1人と去って行き、真ん中にいた女とともに、イエスだけが残された」

(ヨハネ8:7~9)そしてイエスはその女性を罪に定めないとおっしゃり、これからは罪を犯さないようにと諭されたのだ。イエスは神様の御子であるからこそ、神様の愛を現すことができた。一一妻、晴子が天に召されて11になる。

長くピアニストとして大学で教え、教会で奉仕していた。

50代後半、薦められ教会付属幼稚園園長として勤めたが、それを機に神学校に進み、伝道師として教会に仕えることとなった。これからは神様と人とに仕える新たな歩みへ。そう踏み出した矢先、2年目に入るところで突然、脳神経の難病に打たれ、数週間で天に向かった。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」(ルカ5:4

妻を最後の奉仕に向け、励ました聖書のことばであった。

今度は、この聖書のことばが私にも向けられたと思った。

職を辞して、東京キリスト教大学に入学、母教会の伝道師を経て、新たな教会の牧師として仕えている。私のような人生でも、こうなるとは予想できなかった。

自分の考え、常識が非常識と気づかされるたびに、謙遜にさせられ、見えなかったところに新たな道を発見できたように思う。何よりも最も大きな気づきは、復活の主イエス・キリストにお会いできたことである。これからも、新たな気づきが、道を開いてくれると希望を持っている。」

 (百人万人の福音12月号長橋和彦師の証し)

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6