「救いの証し」

ある日、アルバイト先へ向かう道中で教会を見つけました。

そこの掲示板には外国人宣教師の名前が書かれており、英会話教室を探していた私は、ここで英語が習えるかもしれないという軽い気持ちで日曜日にその教会へ行きました。

その日のメッセージは「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1:1)から天地創造のお話でした。

21世紀になったばかりの当時、私は「何のために生きているのか」「この世はなぜ存在するのか」など、将来への漠然とした不安の中にいました。礼拝でのメッセージを聞き、私は神さまの計画のもとに創造されたと素直に信じることができ、今まで体験したことがないほど心がスッキリとしたことを覚えています。

私は、聖書の神さまをもっと知りたいと思い、礼拝と聖書勉強会に毎週参加しました

聖書の話は今まで全く聞いたことがなく、驚きの連続でした。

イエス・キリストが十字架にかかったのは私のためだったと知った時は衝撃を受けました。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラテヤ2:20)

この御言葉を読んだ時「これは私の御言葉だ、私もこのように生きたい」と思い、洗礼を受ける決心をしました。

イエスさまを知った喜びと同時に、私の身を捧げたいという献身の思いもありました。

その後牧師から伝道師の中尾を紹介され、神さまのために共に働ける人が与えられた幸いを感謝しながら結婚式を挙げました。一一一その後沖縄の石嶺バプテスト教会への赴任が決まり4月に沖縄へ引越し、半年の準備期間の後、就任式は10月となりました。そんな8月のある日、教会で庭の掃除をしている時に転倒してしまい、その際ホウキの柄で胸を強く打ちました。念のため病院で診察を受けると、思いがけず乳ガンが発見されました。

当時33歳だった私は、ガンの進行が早く、すでにステージ3に近いとの診断でした。その後9月に部分摘出の手術を行い、10月に退院して無事就任式を迎えることができました。まだ沖縄に来たばかりの私たちを教会の皆さんが励まし、支えて下さったことを今も感謝しています。手術後はホルモン治療を続け、2年ほど経過は良好でしたが、肺・骨に転移が見つかりましたまた3年ほど前に肝臓に転移が見つかり、抗ガン剤治療を始めることになりました。主治医と治療法について相談している時、私はクリスチャンで私の命は神さまの御手の中にあり委ねていることとこの世で生きる限り日常生活を送りながら神さまの働きを続けらる治療法を選びたいという私の思いを伝えました。主治医は私の意見を尊重してくださり、抗ガン剤をいろいろ試して下さいました一一一私は体の弱さを通して神さまにすべてを明け渡すことが出るようになりました。自分の力で頑張ることが出来ないからこそ、私ではなく神さまがやって下さると信じています。沖縄での働きが始まった時に、そのような信仰が与えられたことを感謝しています。また、病を通して、イエスさまをもっと近くに感じられるようになりました。それまで、死について考えることはありませんでした。クリスチャンはすでに死に勝利しています。死の先には天国という素晴らしい世界が待っていることに疑いはありません。ただ、死を考える時「私は使命を全うしたのか?天国で神さまの前に堂々と立てるのか?と自らに問うようになりました。まだ何もしていないのに死ぬことは出来ません。この世で生きることが許され、この石嶺の地での働きが許される間、教会のみなさんと共にイエスさまを伝えて行きたいと願っています

N・U牧師夫人