「神と共に歩み続ける」

創世記5:21~24は特別な聖書の箇所です。「エノクは神と共に歩んだ。神が彼を取られたので彼はいなくなった。」5:24  聖書で死を見ずして天に召されて行った人は2人います。エノクとエリヤ(Ⅱ列王2:11)です。
神様が特別な召命を与えていたことが分かります。
【1】エノクのヘブル語の意味は「献げられた者」という意味です。その父エレデ(5:8)の意味は「謙遜、へりくだり」という意味で、父エレデの謙遜な信仰は息子エノクを「神に献げられた者」と名づける信仰でした。
創世記22章で、信仰の父アブラハムが息子イサクを献げる記事があります。
これは「御子イエス・キリストが私達の罪の身代わりとして献げられることのひな型です。」創世記5章で9人の名前が出ていますが、8人は「生き、死んだ」と記しています。
しかしひとりだけ死ななかった人が7代目の「エノク」でした。エノク(神様にささげられた者)は特別に「神と共に歩んだ」と2回くり返し使われて「神が彼を取られたので彼はいなくなった。」と、つまり死を見ずして、天に召されていったのです。「神と共に歩んだ」は注解者F.B.マイアーは「歩み続けた」と訳しています。
この意味は1度だけ神様のために何かをした。というよりも、毎日が神と共に歩き続ける姿であります。
または「いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心から決めたとおり」(Ⅱコリント9:7)捧げ尽くしていた姿がこのことばによって分かります。私達も「信仰によってエノク(神に献げられた者)は死を見ることのないように移されました。」と言われるように、私達の信仰も「日々主と共に一足一足主にすがりて、絶えず絶えず我は進まん」(聖歌588)と賛美して歩み続けましょう。
【2】積極的な信仰の表現  
「エノクは神と共に歩んだ」と
「ノアは神と共に歩んだ」(6:9)と2回に使われています。その他は「主が共に」は聖書の中25回ほど使われています。例えば
*「主は・・・イサクに『わたしはあなたと共にいる』(創世26:24)
*「主がヨセフと共におられた。」(創世39:2)
*「万軍の主はわれらと共におられる」(詩46:7)
※「エノクはとノアは、神と共に歩み続けた」の表現は能動的、自覚的積極的な信仰です。エノクの信仰をたたえるヘブル書11:5~6では「エノクは神に喜ばれていることが証されていた」「証し」は「証明」ということばです。神様を証したエノクとノアの生き方はヘブル11:6にまとめられています。
(1)「信仰がなくては喜ばれません。」ですから信仰をしっかり持つことです。ヘブル11:11「信仰は望んでいることがらを保証し目に見えないものを確信させるものです。」「目に見えないもの」は「私達は、見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」Ⅱコリント4:18 信仰をしっかり持つことは目に見えない霊的な世界、天の御国(永遠の命)を確信して生きることです。
(2)「神に近づく者は神がおられること」つまり神は存在すること。「初めに神が天と地を創造された」創世1:1が私達人間の存在する根拠です。イエス様は罪人を救うためにこの世にこられました。そして十字架で私達の罪の身代わりになって死に罪を赦されました。そして3日目に復活して、私達も同じように復活の体をもって永遠の天の御国に入る約束をしてくださいました。この事実を信じる信仰です。
(3)「神を求める者には報いてくださる方」であること「報いる」は
「報酬をくださる」「エノクとノアは神と共に歩き続けた」信仰は、
聖歌588の賛美のようです。
  1  、主と共に歩む  その楽しさよ  主のふみたまいし 御あとをたどる  ひと足ひと足 主にすがりて 絶えず絶えず   我は進まん 
 2 、 赤子にひとしき  か弱き我は  ただ主にすがりて  命に歩まん   ひと足ひと足 主にすがりて 絶えず絶えず  我は進まん  
 3、  花咲く野原も  血に染む谷も  導かるるまま   主と共に行かん   ひと足ひと足主にすがり て  絶えず絶えず我は進まん   
4、  エノクのごとくに  我をも上に  移させたもうまで  日々主と歩まん    ひと足ひと足  主にすがりて  絶えず絶えず 我は進まん
 この賛美歌のように主イエス様(インマヌエル=神が我らと共におられる)マタイ1:23  神の御子は天に昇られる時、こう約束されました。「見よ。わたしは世の終りまでいつも、どんな場合にもあなたがたと共にいます。」マタイ28:20   
私達は工丿ク(神にささげられた者)のように、毎日の生活を聖霊様の助けをいただいて、主イエス様と共に歩き続けましょう。イエス様は「決してあなたをひとりにはしない」と約束しておられるのですから。私達の日に見えない目標は、天の御国(都、天国)です。
「見よ。神の幕屋(イエス・キリスト)が人と共にある。神は、彼らと共に住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らと共におられて、彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださる。もはや、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら以前のものがもはや過ぎ去ったからである。」黙示録21:3~4