淵田美津雄(ふちだみつお)さんという方は、真珠湾攻撃で零戦の編隊がハワイに近づくのですが、その零戦の攻撃隊長でした。ものすごく意気揚々と真珠湾攻撃に出かけて行って、そしてトラトラトラのあの(日本軍の真珠湾攻撃の成功を伝えた)通信をするのです。日本に帰って来てから彼は英雄となります。
しかし、終戦後に彼は戦争裁判にも立たされて、その裁判が戦勝国の一方的な裁判であったということに憤りを覚えて、アメリカの悪を証明しようと考え、アメリカに捕われていた日本軍の捕虜から、どういう扱いを受けていたのか、という聞き取り調査を始めました。ところが日本軍捕虜の口から聞いた言葉は、マーガレット・コヴェルというユタ州の捕虜収容所で働くアメリカ人の女性の話だった。マーガレット・コヴェルというのは、両親はフィリピンで伝道していた宣教師で、日本軍からフィリピンでスパイの容疑をかけられて処刑されるのです。
両親は、死ぬ前に30分の猶予をいただきたい(と願い出て)その間に、聖書を開いて、神への祈りを捧げて死んでいくのです。アメリカで残されていた娘マーガレットは、その話を聞いて、両親の姿を覚えながら、両親の思いがいったい何であったのか、処刑される30分前に、聖書を開いて祈っていた両親の思いが、いったい何であったのかを一生懸命考える。そして彼女は決心して、ユタ州の日本人捕虜収容所で献身的に捕虜の世話をする。その仕事に身をささげるのです。そして、戻って来た日本人捕虜から、このマーガレット・コヴェルの話を淵田美津雄さんは聞かされるのです。淵田さんは自伝にこう記しています。「美しい行為だと思った。私は、アメリカ人の悪を暴こうと、捕虜問題を探し回った自分を恥ずかしく思った。やはり、憎しみに終止符を打たねばならぬ。」淵田さんは、やがて渋谷で、一一今度は東京を空爆したあの飛行機に乗っていた人物が、やがて中国で不時着するのですが、その人物が戦後の日本のために、自分の救いの証しをパンフレットにした一一そのパンフレットを受け取るのです。
そこから始まって、聖書をあちこちと探り読んだ。そして目に留まったのが、ルカの福音書23章34節「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」そうして、真珠湾攻撃の隊長であった淵田美津雄さんは、そのキリストの姿、キリストの言葉に心を打たれ、ユタ州の女性、そしてその両親のことを思い出し、クリスチャンになり、また伝道者になります。牧師になるのです。
フィリピンでとりなしの祈りをして処刑された宣教師、そしてその心を受け継いで、ユタ州の捕虜収容所で日本人捕虜のために力を尽くしたそのマーガレットさん一一そこに見たのは、紛れもなくキリストの姿であった。いのちを投げ出して、とりなすキリスト者だった。私たちの祈りは「ああ、主よ、私もその一人にしてください」と、祈る者でありますように。毎日そんな祈りをしている訳にはいかないかもしれない。しかし自分の人生でいつかこういう時が来る。真剣にとりなす立場に立って、その現状を受け止めながら、そして可能であれば、自分のいのちを投げ出すほどの犠牲をもって祈る機会が、きっと私たちの人生どこかで訪れる。その時に主よ、私に恵みを注いで、立たせてくださいと祈るのみです。
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」詩篇126:5~6