ノアの箱舟 No 3

【1】ノアはこの世と調子を合わせない信仰(ローマ12:2)
【2】ノアは御言葉に従う信仰(ヨハネ8:47)創世記6:13、7:1、8:15、9:1、8、12、17)
そしてノアの信仰は
【3】ノアは主を礼拝することを第一にする信仰でした。
(1)「ノアは主のために祭壇を築き一一全焼のいけにえをささげた」(8:20)
神の子としての系図は創世記5章にあります。その特徴は「人々は主の御名によって祈ることを始めた」(4:26)これは「祈りの祭壇」のことです。礼拝したことです。「アベルは彼の羊の中から、それも、最良のものを、それも自分自身で持って来た」ささげものをする礼拝でした(4:4)この2つの記事から、ノアは信仰が継承されていたことがわかります。ノアが、この世界が新まって一番最初に行なったことが「祭壇を築き一一全焼のいけにえをささげた」ことでした。それはノアがこの大洪水でノアの箱舟に入らなかった全世界の全てのものが罪のために滅ぼされた(裁かれた)ことを体験しました。ですから、神様に『礼拝』することを一番最初にしたのです!!神様に畏敬の念を持ったからです。このことが主を礼拝する一つ目の意味です。「神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、これらのものは全て与えられます」マタイ6:33
(2)礼拝の第二の意味は、この祭壇のいけにえは、イエス・キリストの十字架と復活のなだめの供え物の型です。「主はそのなだめの香りをかがれ」「なだめの香」=神の怒りをなだめ、静めて安らぎを与えることの香りです。このことはイエス・キリストの十字架が神の罪に対する怒りのさばき(洪水)であり、3日目の復活はノアが箱舟から新しい世界に入れられることのひな型です。神様は「滅ぼすことはもう決してしない」(創世8:21)と言われました。しかもその理由は「人の心に思うことは初めから(アダムとエバが罪を犯してから)悪であるからだ」と。神様は人間を創造された時から、人間が罪を犯してから悪であることを知っていました。一度この地上はノアの洪水によって滅ぼされましたが、ノアの系図から生まれ、ふえ広がった人類もまた「悪であるから」です。ですから神様は人類を救うために、救いのご計画を立て、実行しました。それが「ご自分が、その罪の身代わりとなって裁かれること。そしてその罪が赦された証拠として3日目に復活することによって完全に罪の赦しを宣言されたのです。(エペソ1:3~14)「神はそのひとり子を世に遣わし、その方(イエス・キリスト)によって私達に命を得させてくださいました。ここに、神の愛が、私達に示されたのです。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛し、私達の罪のためになだめの供え物としての御子(イエス・キリスト)を遣わされました。ここに(神の)愛があるのです」ノアの全焼のいけにえがイエス・キリストが小羊となってささげられる「なだめの供え物(香)」となったのです。
(3)礼拝の第三の意味は「神との契約」を示すものです。「わたし(神)は、あなた(ノア)と契約を結ぼう」(創世6:18)なぜ礼拝することが「祭壇を築き、全焼のいけにえをささげた」(8:20)ことなのでしょうか?それが契約関係だからです。神様が一方的に結ばれた「契約」の内容は「洪水で全世界を滅ぼす。しかしノアと家族8人は救い出す」(6:18、7:13)というものでした。そして、この事が約100年後に成就して、本当にノアと家族8人が救われました。それは、ノアがこの契約(約束)を信じたからです。約束を信じることが信仰なのです。「信仰は望んでいることがらを保証し、まだ目に見えないものを確信するものです」ヘブル11:1「ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」ヘブル11:7「神は実にそのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどにこの世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者がひとりも滅びることなく、永遠の命をもつためです」ヨハネ3:16    現代の、これが神の一方的な契約です。私達はイエス・キリストの十字架と復活(ノアの箱舟)を信じる信仰によって救われました。この救いをこの世の人々に伝えましょう。箱舟を造ることは信仰生活、宣教生活をすることです。それが「主の心にかなう」生活です。感謝しつつ主の門(イエス・キリストを信じること)に入りましょう。それが教会の礼拝を第一にする信仰です!!