「聖霊の働き」

これは、聖霊に「導びいてください」と祈る時にいつも思い起こす話です。

ある時、私の知り合いの社長が、講演会に招かれてお話しをしていました。

その時に、自分の会社から電話が入りました。会社での会議で、意見が2つに割れて喧嘩となり、分裂してしまいそうだと言うのです。社長は、まずその人を落ち着かせてこう言ったそうです。

会議は今すぐ解散させて、来週までみんながそれぞれこのことについて祈ってくるように伝えなさい。そして、また来週話し合いましょう。」電話口の彼は納得していない感じでしたが、その時はそれで収まったそうです。次の週にみんなで集まり、話し合いが始まりました。それでも答えは見えません。社長は、また来週まで祈って決めようと言ったそうです。会議に参加していた人の中には、もう締め切りが迫っているから祈っている場合ではなく、一刻も早く決めないとだめだという人もいたそうですが、社長は「ただ祈ってきなさい」と言い返しました。それから一週間後、また会議に集まりました。その時に、一人の人が涙を流して悔い改めたそうです。「私は今まで、自分の意見を通そうとしか考えていなかった。相手が悪いと思って、人を裁いていた。昨日の晩に祈っている時にイエス様が『わたしを求めなさい』と言って、そばに来て、私を抱きしめてくれました。そうしたら涙が止まらなかった」と。そして「そうだ、自分の意見を通そうとしてばかりではだめだ。んなで神様の思いを受け取らなくては、と思った」と言うのです。そうしたら、隣にいる人も同じような体験をしていて、涙を流して悔い改めたそうです。そこで、奇跡が起きました。絶対に相容れないと思っていた人達がみんなで一つとなり、神様に感謝の祈りを捧げたというのです。さて、どんな意見にまとまったかというと、方が最善だと思っていたものではなく、全く違った答えになったそうです。彼らは会議をする時に、最初にちょっと祈ってから、それぞれが思うことを話していたことを悔い改めました。自分の意見は神様により頼んで得たものではなく、自分の都合で計算して、これが最善だと思い込んで握りしめていたものだった。両者がそう思い、すべてを手放した時に、神様の思いを受け取ることができたというのです。これを聞いて、私は感動したんですね。聖霊は私達を、自分の握りしめているものから解放するんだと思ったのです。そこにこそ自由があり、互いに助け合うという生き方があるように思いました。私が祈る時「自分は準備をたくさんし、祈りもしましたので、この計画が成功するようにしてください」と、自分の思いを祈っていたように思います。そこには聖霊が働く隙間がありません。

 

私は自分のできることはやりました。後はすべてをあなたにお任せします」と手を広げ、自由に聖霊に導かれていきたいと思うのです。「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」Ⅱコリント3:18