「星野富弘さんが遺したもの」

「1970年3月に群馬大学を卒業すると,県下の中学校の体育教師となった。ところが2ヶ月余り後の6月17日。
放課後、クラブ活動でマット運動の模範演技をした次の瞬間、頭から落下。衝撃による頸椎の脱臼骨折等により肩から下の運動機能を失い、四肢の感覚も麻痺してしまった。頸髄損傷一強靭な肉体と精神力の強さで生きてきた24歳の青年が、自分の意志では指一本動かせず、食事はもちろん歯を磨くことから排泄に至るまで、すべて人の手を借りなければならない。 想像もつかない絶望と屈辱の沼底に、突然落とされてしまったのだ。
頭蓋骨に穴を開けて牽引したり、呼吸軌道を確保するため喉を切開して管を通すなどの処置が試みられて一命をとりとめた。しかし命の危険と隣合わせであることは9年間の入院中だけでなく、その生涯を閉じるまで変わらなかった。知野さん(お母さん)は嘆きながらも、いつかはきっと手足が動くようになると信じ、自分の命を注ぎ込むような思いで日夜看病した。『けがをした当時は、なんとしても助かりたいと思ったのに、人工呼吸器が取れ、助かる見込みが出てきたら、今度は死にたいと思うようになった。』人からは『ただ生きているだけ。』とも言われ、ひたすら天井を見上げて寝ているだけの日々。おそらく一生動けない自分は、すべて人の世話にならなければ生きられない。そのうえ家族の日常まで奪ってしまった。・・・こんな自分が生きていていいのか。
病室では明るく振舞っていたが、入院が長引くにつれて先の見えない絶望感にさいなまれ、しばしば死ぬ方法を考えていたという。
けがから2年後、クリスチャンの病院スタッフを通して三浦綾子の小説『塩狩峠』を読み。わが身を犠牲にして多くの人の命を救った主人公の生き方に衝撃を受け、自分の命も多くの人に助けられて今日があると思った。続けて『道ありき』『光あるうちに』を読み、『生きるというのは権利ではなく義務』『生きているのではなく、生かされている・・・』という、今まで聞いたことのない言葉に心を揺さぶられた。富弘さんは、1年前に大学の先輩からもらっていた聖書を初めて読んでみる気になった。『塩狩峠』を貸してくれた病院スタッフと、聖書をくれた先輩が通う前橋キリスト教会の舟喜拓生牧師が訪ねてきてくれたのはその頃だった。牧師は毎週のように訪問し、聖書を読んで祈ってくれた。初めの頃は、こんな体になったから宗教にすがっていると周囲の人に思われたくなかったし、自分の弱さを認めたくなかった。
しかし、聖書を読み進んでいくうちに、1つの言葉に心を捉えられた。
苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す・・・この希望は失望に終わることがありません。』(ローマ5:3~5)
さらにもっと驚くべき言葉が出てきた。『すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』(マタイ11:28)
『あの時のことばだ!』・・・高校生の頃、重い堆肥を背負って裏の畑に行く坂道を登っていた時、突然白い十字架が現れた。十字架には『すべて労する者、重荷を負う者、我に来れ』と書かれていた。
この『我』とは誰のことだろう?・・・こうして10年後に聖書に出合い、あの時の『我』が、イエス・キリストであるとはっきりわかった。そして、この言葉に従ってみたい、この人の近くに行きたいと思った。・・・自分は弱い人間だと富弘さんは感じていた。同じ病室の重症だった患者が回復すると、喜びながらも心のどこかで妬んでみたり、人の不幸を喜んでいる自分を見たり、人を信じられなかったり恨んだり、イライラが爆発すると夜も寝ずに看病している母に当たったり。それはみな自分の弱さからくるのだと思った。醜い自分を忍耐強く赦してくれる神の前にひざまずき、十字架に架かってくれたイエス・キリストに従って新しく生きたい・・・。1974年12月、病室で教会の人々が見守る中で、舟喜拓生牧師により洗礼を受けた。」 (百万人の福音2024年9月号より)