アブラハム「主の試み」

創世記17:1~8    パートⅡ
アブラハム(国民の父)の祝福は3つありました。
(1)土地を与えられる(12:1~2=17:8)
(2)子孫の繁栄(12:2=17:4~5)
(3)大いなる国民となる(12:3=17:4~5)
このアブラハムの契約(約束)はイエス・キリストの救いのひな型です。
(1)土地の祝福=イエス・キリストの王国(天国)
(2)子孫繁栄の祝福=イエス・キリストによって救われたクリスチャン
3)大いなる国民の父の祝=イエス・キリストの教会です。
この3つの祝福をいただくために必要なことがアブラハムの信仰です。
「アブラハムは神を信じた。それが彼の義(神との正しい関係の回復)と認められた。」(創世15:6、ローマ4:3)アブラハムの祝福は現代の私達クリスチャンがイエス・キリストの十字架と復活によって与えられる。
(1)罪の赦し
2)身体のよみがえり
(3)永遠の命の約束は、ただ信じるだけで与えられる祝福なのです。
アブラハムの歴史を学ぶことは、クリスチャン生活を学ぶことでもあります。
【1】アブラハムは、どのように神(主)を信じていったのか?
(1)遍在の主(創世12章~25章)はウルの地→ハラン→カナン→エジプト→カナン→ゲラル→カナン  主なる神様はどこにでもおられる遍在の主です。
(2)全能の主(創世17:1、18:14)「私は全能の神である」(17:1)「主に不可能なことがあろうか」(18:14)と言われます。  
(3)正義と公正とを行う主(創世18:18)「アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。わたしが彼を選び出したのは彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて、主の道を守らせ正義と公正とを行わせるため、主がアブラハムについて約束したことを彼の上に成就するためである。」※アブラハムに約束した子孫イサクが生まれる成就のこと(創世21:1~2)  
(4)あわれみ深い主(創世18:19)「主の彼に対するあわれみによる。」※ロトの家族4人をソドムとゴモラの滅亡から救い出されること。それが主はあわれみ深いお方なのです。 (5)永遠の主(神)(創世21:33)「アブラハムは、ベエルシェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈った。」
※このように主なる神様は(1)どこにでも遍在して生きて見ておられ(2)全知全能で(3)正義と公正をもって約束を果たし(4)罪は裁かれますが、主を信じる者にはあわれみ深く(5)永遠に存在しているお方です。このご性質は、主イエス・キリストも同じです。「イエス・キリストはきのうもきょうも、また永遠に変わることのないお方です。」(ヘブル13:8)
2】アブラハムの信仰を主は試みられる。  神の約束に対する信仰は試練を通して磨かれていきます。信仰が成熟するために試練が与えられます。
アブラハムは
(1)13:10 飢饉   恐れ(飲食のため生存への心配)
(2)12:10~20、20:1~17 命をおとすことの恐れ(うそをついてまでも生きのこることへの心配)
(3)13:1~18 財産のための争いの恐れ(財産をどのようにするかの心配)
(4)14:1~24戦争による悲劇(持ち物への心配)
(5)15章16章  跡取りの恐れ(家族の継承への心配)
(6)18:20~33  とりなしの祈りの悲しみ(祈って答えられるのかという心配)
7)21:1~21 ハガルとイシュマエルとの別れの悲しさ(家族の別れの心配)
8)22:1~14ひとり子イサクをささげる恐れと悲しみ(最後の祝福を失う心配)「患難が
忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終ることはありません。なぜなら、私達に与えられた聖霊によって神の愛が、私達に注がれているからです。」ローマ5:3~5
アブラハムは75歳で召されて175歳で召天するまでさまざまな試練に会いました。しかしそれは、私達がアブラハムの信仰を学ぶためでした。またアブラハムの信仰は、イエス・キリストのひな型なのです。「私達の大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」ヘブル4:15~16  
今苦しんで試みられている人は、全知全能なる神、イエス・キリストの十字架と復活によってすべてが勝利し完成する日が来ます。その日が再臨・天の御国へ行く時です。私達はこの日を待ち望んで生活しましょう