「アブラハム「主の約束(契約)」パートⅣ 創世記17:4~7

創世15:18、17:4「契約」ヘブル語(ベリト)誓約、約束、ギリシア語(工パンゲリヤス)契約、約束です。この言葉は「神が主権をもって保証する約束(契約)を交わす時に使われます。この契約(約束)は「相互のやりとり」ではなく、神から一方的に与えてくださる賜物・恵み・愛・あわれみ・いつくしみとして使われます。アブラハムに与えられた契約(約束)は創世記12:1~3(17章)
(1)土地を与えられる
(2)子孫が繁栄する
(3)大いなる国民の父となる。
この契約は(2)子孫としてイサクが与えられるだけでした。しかし、このアブラハム契約(約束)はイエス・キリスト(イサク)による救いのひな型でした。
(1)土地の祝福=イエス・キリストの天の御国
(2)子孫の繁栄=イエス・キリストによって救われたクリスチャン
(3)大いなる国民の父となる=イエス・キリストによる教会
第4回のアブラハムの信仰について
【1】アブラハムは忍耐する信仰
創世15:1~3「子孫の繁栄」の約束は1年待っても与えられる兆しがありません。
アブラハムは素直に神に祈りました。
(1)「私にはまだ子がありません」(15:2)76歳になったこの身としてはもう子を残さずにこの世を去って行くことのあせりがありました。
(2)「あなた(神)が子孫を私に下さらないので」(15:3)次に祈る言葉は神様に対しての文句に変わります。私達もまた祈りが答えられないと神様に対して文句をいいます。
3)「私の家の相続人は私の家の奴隷エリエゼルが私の跡取りとなるのでしょうか」(15:3)目に見える現実にのみ頼りにして結論づけて祈ってしまいます。
アブラハムにとっての子が与えられないという問題は、神が与えられたテストです。
信仰は忍耐が試されるのです。私達もまた忍耐が必要です。
「あなたがたが神の御心を行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」ヘブル10:36
【2】アブラハムは約束を待ち望む信仰
祈りの神の答えは「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない」(15:4)しかも「主は子孫を星の数のように増やす」(15:5)と加えて約束なさいます。ここで私達の信仰で大切なことは「神は真実で約束されたことは必ず成就する」という神の言葉(聖書の約束)を信じることです。
アブラハムは不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神は約束されたことを成就する力があることを堅く信じました」ローマ4:20~21
「こうして、ひとりのしかも死んだも同様のアブラハムから天の星のように、また海辺の数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです」ヘブル11:12     
神は、アブラハムに子孫イサクを与えられたのは、25年後の約100歳の時です。アブラハムが、イサクが生まれることを待ち望んだことは、神の約束である「天の都」で共に住むことへの希望であったのです。ですから「信仰の人々(アブラハム)は死にました。約束のものは手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であると告白していたのです。一一一彼ら(アブラハム)はさらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ神は彼ら(アブラハム)の神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼ら(アブラハム)のために都を用意しておられました」ヘブ11:13~16
私達もアブラハムの信仰のように「約束を待ち望む」ことは、救い主イエス・キリストがおられる天の都(天国)に多くの子孫であるクリスチャンと共に住むことを待ち望むことです。
【3】アブラハムは救い主イエス・キリストを信じる信仰
「アブラハムの約束を待ち望む信仰」はイサクやヤコブという肉体的な子孫のことだけではありません。それは救い主イエス・キリストを待ち望むことでもありました。「アブラハムは私(イエス・キリスト)の日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て喜んだのです」(ヨハネ8:56)「この約束はアブラハムとそのひとりの子孫(イサクのひな型イエス・キリスト)に告げられました。神は『子孫たち』といって多数をさすのではなく、ひとりをさして『あなたの子孫に』と言っておられます。その方はキリストです」(ガラテヤ3:16)
アブラハムの信仰は、唯一真の神、全知全能の神を信じる信仰です。
「神は実にそのひとり子(イサク=イエス・キリスト)をお与えになったほどに世(アブラハム=私)を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者は、ひとりも滅びることなく永遠の命を持つためである」(ヨハネ3:16)
このことは、イエス・キリストを信じることでした。このイエス・キリストがしてくださった罪の身代わりとなって赦すために十字架にかかられたこと。そして3日目によみがえって復活の命が与えられること(イサクを全焼のいけにえとしてささげても、神は死者をよみがえらせることができると信じたことです。ヘブル11:19)この事を信じる信仰に生かされていたのです。私達もアブラハムのように、この地上の生活を、忍耐をもって歩み、神の約束を待ち望みましょう。それによってイエス・キリストと共に住む天の都(天国)目ざして旅人として寄留者として生活しましょう。
私達は神の約束に従って正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」(Ⅱペテロ3:13)